第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
挫けた足を支え、止まった背を押し、傍で感じる命の重みが生きる道へと変わった。
しのぶにとってのアオイ達が、蛍にとっての杏寿郎だったならば。
(ならば──…あの地獄を、また)
蛍は経験したのだ。
自分にとっての世界である人が、死にゆく様を。
体が引き裂かれて心臓が抉り出されるような、あの痛みを。
容赦なく足場が崩れて世界が崩壊するような、あの絶望を。
一度潰した心をようやく取り戻したところで、容赦なく再び捻り潰されたのだ。
この浮世の世界に。
「……」
今此処で、カナヲ達を失うことがどういうことか。
その時、自分を見失わずに立っていられるのか。
考えたくもない未来に、しのぶは無言で眉を潜めた。
(結局、私もただの人間だ)
目的はただ一つ、姉を殺した鬼をこの手で殺すこと。
その思いだけは昔から変わっていない。
その為に自分が死ぬ覚悟などとうにできている。
しかし愛する者達を失う覚悟はできていない。
姉の復讐と同時に、その者達を守る為に、未来を託す為に、生きているのだから。
無意識に自分を詰った思考にはっとする。
それがただの人間だと言うのなら。
目の前で愛する者の死に、心を砕いている蛍もまた人間だと、そう認めていることになるのだろうか。
「ふーー」
大きく肩を下げて、大袈裟なまでに呼吸を繋ぐ。
そうでもしないと感情の整理をつけられないのは、何故かいつも目の前の鬼に対してだけだ。
彼女が鬼だからか。違う。
長くはないが短くもない時間、蛍を見てきた。
今では、悪鬼に対する感情とは別のものが彼女に向いていることはわかっている。
蛍だからだ。
鬼でありながら、自分の憎んできた鬼ではない。
そんな彼女だからだ。
「…彩千代さん」
それでも自分は腐っても柱だ。
呼吸一つで感情を正すと、しのぶは一歩。音も無く足を向けた。
今まで明確な理由がなければ向けなかった足を初めて、蛍に対して踏み出した。