第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
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「ハイ終わりです」
「ぅ…っ」
ぺしん!と小気味良い音を立てて、しのぶの手が蛍の額を打つ。
あまりの強さに、無表情な蛍の口から呻きとも取れない声が漏れた程だ。
打つと同時に額に塗られた軟膏に、そんなところに火傷跡があっただろうかと義勇は疑問を抱いたが黙っておいた。
にこにこと笑顔を浮かべているが、診察室で蛍と向き合うしのぶの額には始終くっきりと青筋が浮かんでいたからだ。
気配を察する能力に長けていなくとも、この屋敷の主の機嫌は手に取るようにわかる。
「熱傷の面積は狭くとも、度合いは酷いものです。人間ならば熱を出しても可笑しくないものなので、念の為ですが発熱を抑える薬を塗らせて頂きました。額は触らないように」
「……」
「聞こえていますか? 彩千代蛍さん」
「……」
「聞こえていませんねえ?」
「ぅ…」
「胡蝶」
天使のような悪魔の笑顔。
正に言葉通りの顔をずいと近付け覗くしのぶに、蛍の反応は一つもない。
そのまま火傷を負っている頬をしのぶの手が抓り始めるものだから、今度は義勇も声を抑えることができなかった。
いくら指は直接的な熱傷を避けているとしても、怪我人は怪我人だ。
「彩千代には俺も言って聞かせた。今後は一人で外に出さないようにする」
「今後はって。また番犬みたいに張り付くつもりですか? 柱の仕事はどうするんですか」
「…立ち寄れた時に、此処で見張る」
「結局それ以外の時間は、私が見張る他ないようですね。やれやれ…柱は鬼の保護の為に存在しているのではないのですが」
軟膏の薬の蓋を閉じて、棚へと戻す。
華奢な肩を落としながら、大袈裟なまでにしのぶは溜息をついた。
「此処は鬼殺隊の為の診療所です。本来ならこの薬も、怪我を治せない人の為に使うべきものです。わざわざ勝手に怪我を負って、勝手に治る貴女の為に使うべきものじゃない」
棚のガラス戸をそっと閉じた指先が、白くなる程に力む。
綺麗な笑顔の下で滲む怒りを抑えることなく、しのぶは声を尖らせた。
「貴女の体は既に完治しているんです。さっさと立ち直って、他に必要な人の為に部屋を空けてくれませんか?」