第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
「…っ」
ぎり、と奥歯を更に強く噛み締める。
しのぶが告げた「死に急いでいる」という言葉の意味が、ようやくわかった。
そこに比喩などない。
言葉の通りの意味を成していただけだ。
「お前はまた、死ぬつもりなのか」
気付けば、吐き捨てるように問いかけていた。
いつかの、あの日。
全身に治らない火傷を負った蛍を前にして、告げたことがある。
あの時よりも、もっとずっと蛍は強くなったはずだ。
身体だけでなく、心も。
容易くなどない、険しい道を歩んできたのだから。
その心も身体も、簡単に覆してしまう程の"死"。
それだけ杏寿郎の存在が途方もなく大きなものだったのだと身に沁みてわかるからこそ、義勇の眉間には深い溝が刻んだ。
「また諦めるのか」
畳みかけて問い質す。
起伏はなくとも伝わる厳しい声に、蛍の虚無の瞳は向き続けていた。
(……また…?)
意識は朧気なものだ。
目の前に広がる景色はどこか切り取った絵画のように、別世界に見える。
匂いはしない。
味もしない。
色もない。
蛍の視界に広がるものは、灰色に染まっただけの空。
「彩千代」
その空を背に、立つ男だ。
(諦め、る?)
一枚、硝子を隔てたようなぼんやりとした音。
男が口を開いた時にだけ聞こえる音は、偶に蛍の耳を震わせた。
死ぬ。
諦める。
なんのことを言っているのか。
死ぬとはなんだ。
自分はまだ死んでいない。
無様にも鬼のまま生き続けている。
諦めるとはなんだ。
何を諦める。
何を望んでいた。
(…望み…)
以前なら、迷わず言えた望みがある。
この身を人間に戻すことだ。
いつかまた太陽を浴びて、限られた時だけを体に刻み、命の重みを知る。
命を尊いものだと感じられているうちに。
その尊さを見失わないように。
途方もない悠久の時など要らない。
ただ一人、望む人と共に人生を歩めるなら。