第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
頬に触れる。
丸みを帯びた柔いそれを両手で包む。
「見ろ」
強い力は要らなかった。
抜け殻のように抗わない蛍の顔は、すんなりと引き寄せた義勇へと向いたからだ。
「今を見ろ。彩千代」
顔を横に向かせて、己と向き合わせる。
真正面から見れば、その瞳がどれだけ濁っているのか再確認できた。
立ち上る影の所為なのか。
暗い足場に立つように、緋色の蛍の瞳の中には光がない。
こちらを向いているのに、その目は義勇を捉えていない。
初めて蛍と出会った時もそんな瞳をしていたのに、あの時感じなかった心の底が、乾いて擦れるような気配がした。
「お前の目の前にあるものを見ろ」
声色に昂りはない。
それでも呼び続ける義勇の手は、蛍の顔から離れなかった。
見ろ。
今あるものを。
目の前にいるものを。
引き摺ってでもいい。
嘆いてもいい。
それでも目を逸らすな。
でなければ──
自分の代わりに潰れた命は、報われない。
「見ろ。彩千代蛍」
頭の隅に一瞬浮かんだ、宍色(ししいろ)の髪の少年。
その顔をはっきりと意識する前に、義勇は声を畳みかけた。
今話しているのは、己のことではない。
彩千代蛍のことだ。
「……」
それでも頬を包まれ上がる顔は、そのままに。蛍の瞳は何一つ揺らいではいなかった。
まるで義勇の言葉など最初から聞こえていない。
朧気に無心に目を向けるだけの人形に、反射的に奥歯を噛み締める。
それだけのものだったのだ。
それだけの存在だった。
そんなことは知っている。
杏寿郎本人が告げてきたのだから。
蛍もまた、同じ想いを受け入れてくれたのだと。
理解しているつもりだった。
吞み込んだつもりだった。
己の中で生まれた初めての感情に名前を付けることもなく、静かに包み隠した。
それが蛍の望んだことならと。
だがそれは、こんな蛍を見たかったからではない。