第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
──カァ。
鳴くにしては控えめな、鴉の声が空に浮く。
黒い羽根を畳み足を着く鎹鴉に、目の前の姿は反応一つ示さない。
冬を迎えようとしている季節でも、本日は晴れ日。
太陽が温かな日差しを燦々と差す中に、その鬼はいた。
「……」
蝶屋敷の屋根の上。
縮こまるように抱いた両膝に顔を埋めて座っている。
日陰となる物など何もない屋根の上で、無防備に座る鬼からは煙の一つも上がっていない。
ただ一つ。
柔らかい陽光が鬼の肌に届く前に、それは薄い影の膜に遮断されていた。
うずくまる背後から立ち昇る影。
それは水中で揺らぐ水草のように、ゆらゆらと微かに揺れ動いている。
("消えろ")
抱いた膝に顔を埋めたまま、暗い視界の中で不意に念じる。
邪魔なものを排除するように、空っぽな心の内側で反射させてみても、立ち昇る影は目立つ動き一つ見せなかった。
消えないのだ。あの日から。
どんなに己の意思で捻じ伏せようとしても、足元の影から浮き上がる黒い揺らぎは消えてくれない。
ただ静かに、そこに在り続けていた。
『ほ…ほたる…? なんで…陽、大丈夫なのか…っ?』
あの日。
体の内側から、心というものが抜け落ちた日。
呆然と、愕然と、朦朧とする意識の中でその場に立つ蛍に、最初に声をかけたのは炭治郎だった。
日陰もない太陽の下で、体を焼かれずに存在している。
本来ならあり得ない鬼の姿に、炭治郎は目を剥き困惑した。
その時も蛍の意思とは関係なく揺らぐように立ち昇っていたのが、この影だ。
まるで陽光から守るように、必ず蛍に太陽が降り注ぐ方角に合わせて立ち昇る。
室内や日陰となる場所にいれば自然と消滅し、再び陽光の下に向かえば影は現れた。
そこに蛍の意思は一つも介していない。
元々、影鬼は最初から蛍の意思を介さず発動していた。
蛍自身にとっても不確定要素だらけの産物なのだ。
(──朔)
あの日から、土佐錦魚の形をした影が姿を現さなくなったことも含めて。