第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
「…黙って後ろに立たないでくれませんか? 冨岡さん」
そして同じ柱であるしのぶの笑顔は、更に硬いものへと変わっていた。
声色は優しいが温かさがない。
どんどんと顔色を悪くする善逸に対し、義勇の無表情は変わらず。見慣れたしのぶの姿に臆することもなく一歩前へ進み、隣へと並ぶ。
「これでいいだろう」という無言の主張に、言いたいことはそういうことではないとしのぶの笑顔にも硬さが増した。
「彩千代が勝手に姿を消したとは、どういう意味だ」
それでもどこ吹く風の義勇には、優先すべきことがある。
杏寿郎の訃報と共に、長期任務から鬼殺隊本部へ帰還したと聞いた蛍に会いに来たのだ。
「どういうも何も、言った通りですよ。なほの目を盗んで勝手に抜け出したんでしょう。世話をされている身だというのに。全く」
溜息混じりに告げるしのぶの顔に、呆れと共に諦めの表情が浮かぶ。
世話役として傍に置いていたなほは、鬼殺隊の一員ではあるが剣士としての力量は持っていない。
一般市民と変わらない幼い少女では、鍛え上げられた鬼を見張ることなど皆無に等しい。
故に、なほに罪はない。
「あれ…? でも蛍ちゃんは怪我ももう完治しているはず…ですよね?」
しのぶの顔から硬い笑顔が消えて、ようやく少し肩の力を抜いた善逸が、ふと頸を傾げる。
蛍もまた戦場で負傷した身であったが、鬼であるからか。善逸が影沼から現れた姿を見た時は、五体満足で膝を地につけ立っていた。
身に付けていた袴は汚れていたが、反して肌は綺麗なものだった。
その場にいた伊之助よりも身体機能は正常だっただろう。
その蛍に今更、療養など必要なのだろうか。
「確かに彩千代さんの体は、本部に戻り着いた時点で健在でした。飢餓症状も特に出ていませんでしたし、治療の必要もありません。…しかしそれは身体に対してだけです」
空っぽの室内に視線を向けていたしのぶの眉が、僅かに潜まる。
「問題は精神の方。今の彩千代さんは、非常に不安定な精神状態をしています」