第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
(ちょっと風変わりだったけど、強くて優しい音だった)
今まで会った人間の、どの鼓動とも重ならない。
煉獄杏寿郎という人物にだけ奏でられる、強く優しい鼓動だった。
(でも──…)
不意に廊下を進んでいた善逸の足が止まる。
俯く視線の先には何もない。
ただその表情は、底知れない暗さを見つめているようだった。
(あの時の蛍ちゃんの"音"…今まで聴いたことがない音だった)
他と重ならない音ならば、杏寿郎と同じだ。
しかしそういう音とは全く異なる、抜け殻のような蛍の体から零れる音に善逸は息を呑んだのだ。
杏寿郎の死を前にして、虚無の姿を見せた蛍。
その外見とは裏腹に、心の臓は奇妙な音を奏でていた。
不揃いに、不規則に、静かに奏でる命の音。
不協和音にも近いそれは、ただの耳障りな音ではなく、一定の不規則さを醸し出していた。
言うならば、月も見えない夜の闇に混じる足音のような。
じわりじわりと静かに、ゆっくりと背筋を濡れさせるような。
(鬼の音…って言ったら、きっとそっちに近いんだろうけど。でも今まで聴いた鬼の音でも、似たような音はなかったんだよなぁ…)
鬼の鼓動と人間の鼓動は違う。
それにより人とそうでない者とを見極めていた善逸は、初めて禰豆子や蛍という存在を確認した時もすぐさま人間ではないことを見破っていた。
それでも禰豆子も蛍も、悪鬼とは異なる鼓動を持っていた。
それもまた聴き覚えのない音だったが、耳障りでも不協和音でもなかったお陰で自然と善逸の耳にも慣れ、深く知るにつれ好意さえ持つようになった。
その蛍が、息を呑み声をかけることさえ躊躇させる音を鳴らしていたのだ。
外見からの反応は何一つ見せることなく。
ただただ、体の内側でだけ歪な音を響かせていた。
「…大丈夫かな…」
以前の蛍の鼓動とは似ても似つかない。
まるで人格が変わってしまったのかとさえ思える変化に、不安を覚えずにはいられない。
思わず口にして、はっとする。
誰かに聞かれてはいないかと口を押さえ、辺りを見渡したところで目的の場所に辿り着いていることに気付いた。