第35章 消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
『死んじゃうなんてそんな…ほんとに上弦の鬼、来たのか?』
『…うん』
『なんで来んだよ上弦なんか…そんな強いの? そんな、さぁ…』
『うん…』
目の当たりにしても、すぐには理解が追い付かなかった。
上弦の参である猗窩座の姿など一度も見ていないのだ。
本当にそんな鬼がいたのか。
本当に杏寿郎が激しい一戦を繰り広げ、命を落としたのか。
全てが夢幻のようで。
『悔しいなぁ…何か一つできるようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ…凄い人はもっとずっと先の所で戦っているのに、俺はまだそこに行けない…こんな所で躓いてるような俺は…俺、は…っ…煉獄さんみたいに、なれるのかなぁ…』
呆けたように頷いていただけだった炭治郎の背中が、大きく震える。
ぼろぼろと大粒の涙を零しながら泣き言も零す炭治郎の姿は、出会ってから一度も見たことがなかった。
いつも泣き言を零すのは自分の方で、それを諭したり励ましたり、時には呆れたり怒ったりしてくれたのは炭治郎の方なのだ。
その炭治郎が、幼い子供のようにべそべそと泣いていた。
涙を拭うこともせずに、震える体を抑えることもせずに。
そこに啖呵を切ったのが伊之助だった。
炭治郎につられて零れた善逸の涙も引っ込む程に、強い声で叫んだのだ。
「弱気になるな」「悔しくても泣くな」と。
『なれるかなれねぇかなんてくだらねぇこと言うんじゃねぇ! 信じると言われたなら、それに応えること以外考えんじゃねぇ!!』
あの時の伊之助もまた、善逸にとって初めての姿だった。
「どんなに惨めでも恥ずかしくても、生きていかなければいけない」。そう告げた伊之助の涙ながらの叫びは、項垂れた炭治郎の顔さえ上げさせた。
他人の感情に一番気遣いなど見せなかった、あの伊之助が。
それだけの思いと、衝撃を与えたのは、たった半日関わっただけの男なのだ。
(どんな強そうな人だって、苦しいことや悲しいことがあるんだよな。だけどずーっとうずくまってたって仕方ないから、傷付いた心を叩いて叩いて立ち上がる。煉獄さんもきっとそういう人だったはず。…そういう音の人だった)
だからこそ炭治郎も伊之助も心を開き、そこまでの思いを抱かせたのだろう。