第34章 無題
禰豆子が大いに蛍に興味を示したのは、同じ鬼だからだと最初は思っていた。
今まで斬ってきた悪鬼とは違う。
鬼でありながら、人の心を持った蛍だからだと。
しかし鬼殺隊本部で共に過ごすにつれて、蛍が他の鬼と違うから禰豆子が心を向けた訳ではないことを次第に理解した。
兄なのだから。
例え鬼になったとしても、妹のことはわかる。
蛍だから心を向けたのだ。
禰豆子のことを、炭治郎のことを、初めて会った時から案じてくれていた。思ってくれていた。
そんな彼女だから。
「煉獄さん、が、傍にいるんだ…蛍なら、きっと、大丈夫」
その誰よりも頼りになるはずの杏寿郎は、今は瀕死の重傷を負っている。
禰豆子に言い聞かせながら、炭治郎は自分にも言い聞かせていた。
きっと大丈夫だ。
きっと二人共無事だ。
きっと助かる。
きっと。
──ゴポッ
膨れた空気が破裂したような、湧き上がる水のような音だった。
それが影沼の中心から起きた音だと炭治郎が悟った時、既に沼は形を変えていた。
「ひぇえッ!? 何なに!?! なんだよ!?」
「ギョロギョロ目ん玉かッ!?」
突如、影沼の中心から煮え滾るような激しい気泡が湧いた。
伊之助を押さえたまま狼狽える善逸に、炭治郎も反射的に木箱を強く抱いて後退った。
黒々とした波が意思を持ったように暴れる様は、末恐ろしくも見える。
ゴボゴボと不安を煽るような音を立てて、影が大人の男の高さより遥か上に飛沫を上げる。
思わず視線が上がる。
太陽が浮かぶ真っ青な空の中を、黒々とした影波がくっきりと浮かび上がる。
やがて重力に従うように飛沫が落ちて地面を叩けば、其処にはもう影沼は存在していなかった。
「あ──…ッ」
炭治郎の目が見開く。
血と土に塗れた炎の羽織。
他に類を見ない焔色の髪。
表情は見えなくとも、その姿形ですぐにわかる。
「煉獄さん…ッ!!」
影が飲み込んだはずのその人が、いた。