第34章 無題
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異変は瞬く間に起きた。
呼び止める暇もなく、杏寿郎と蛍を飲み込んだ影。
それは巨大な沼地のように地面に広がり、ただ沈黙していた。
「危ないって言ってるだろ! 炭治郎ッ!」
「でも…! 煉獄さんがッ! 蛍だって…!」
「この影、見たところ蛍ちゃんの血鬼術だろッ? なら大丈夫だって!(多分!)」
本音は心の中だけで叫んで、必死に説得を試みるのは黄色の羽織の持ち主。善逸。
ただの沼地のような影へ飛び込まんとする炭治郎を、後ろから羽交い絞めするようにして止めていた。
無限列車の転落時、禰豆子の傍にいた善逸は咄嗟に彼女を抱いて庇った。
故に強烈な衝撃に一時的に気を失っていたが、幸いにも致命傷は負っていなかった。
朝日が昇る気配に慌てて禰豆子を専用の木箱に隠し、救助を求める乗客達に手を貸しながらも炭治郎と伊之助を捜した。
そこで善逸が目にしたのは、巨大な影沼に狼狽え慌てる炭治郎と伊之助だったのだ。
「伊之助も黙って見てないで手伝」
「ぎ…ッギョロギョロ目ん玉ァ!!」
「ってお前もかよッ!!」
炭治郎はまだいい。
顔面蒼白に狼狽えているが、怪我と疲労によりいつもより気迫が弱い。
一人でも押さえることができる。
だが伊之助は炭治郎よりも体力が残っている。
ぶるぶると体を震わせて突っ立っていたかと思えば、炭治郎と同じく影沼に飛び込もうとしたのだ。
咄嗟に背中に背負っていた木箱を炭治郎に押し付けると、善逸は渾身の力で伊之助の腰の毛皮を掴んだ。
「あーもう! お前は禰豆子ちゃん見てろ! 兄貴だろ!! 太陽がこんなにはっきり出てる中で絶対に木箱離すんじゃないぞ!!」
本当は自分が守っていたかったのに。
という本音は仕舞って、炭治郎を一喝する。
"兄"という言葉にびくりと炭治郎の体が震えた。
両手で抱いた木箱は重い。
その妹の命の重さに、我に返ったように目を止める。