第8章 むすんで ひらいて✔
「じゃあ杏寿郎で。私も師範って呼ぶの、照れ臭い」
ぽかぽかと温かい陽だまりに当たっているような、そんな心地良さ。
もう随分と昔のことのようで忘れてしまった気がするのに。
杏寿郎の傍にいるとそれを思い出させてくれる。
つられて笑えば、杏寿郎の目がじぃっと見下ろしたまま瞬きを止めた。
「…杏寿郎?」
…なんか固まってます、けど?
「! うむ! 笑えたようで何よりだッ!!」
わっ、そんな間近でそんな大声出したら耳キーンてなるから…!
「では、そろそろ…」
「えっ」
動いてはいない。
でもその場から退くような杏寿郎の雰囲気に、咄嗟に羽織の裾を掴んでしまった。
「もう行くの?」
行かないで欲しい。
まだ傍にいて欲しい。
その思いが出てしまって。
「その手の怪我も酷いようだし、鎮痛剤を…」
「いい。大丈夫。片手くらいすぐに治るから」
「しかし痛みはするだろう?」
「痛くないよ。そんなに」
痛くないと言えば嘘だ。
鬼であっても痛みはある。
でも今の私の心の痛みを和らげてくれるのは、今の杏寿郎だけだから。
「まだ時間が許されるなら…此処に、いて…欲しい」
貧相な檻の中に身を置かせるのは、正直申し訳ないけれど。
それ以上に沈んだ私の心は目の前の陽だまりを欲していた。
まだ触れていたい。
その暖かさに浸っていたい。
「迷惑なのは、わかってるんだけど…」
「っいや。迷惑ではないぞ」
沈黙に耐えきれず切り出せば、ぽふりと今度は確かな感覚で頭に大きな手が触れた。
「先程伝えたばかりなのに失念した。君が許す限り此処にいよう」
「本当に?」
「無論。怪我人を放っておけないしな」
くしゃりと優しく撫でてくる。
太陽のように温かい手。
「今は休暇期間でもあるし。彩千代少女がちゃんと休めているか俺が見ていよう」
独りの寂しさを感じていたから余計に、今の杏寿郎の温もりが嬉しくて。
ようやく握っていた羽織の裾を離すことができた。