第34章 無題
瞬きするだけの一瞬のようで。
果てを知らない永遠のようで。
どれ程そうしていたかもわからない。
本来なら甘いとしか感じない杏寿郎の血が、何故かほろ苦く感じる。
本来なら喉を潤し熱くさせるものなのに、ぬるりと広がる舌の上の感触に頸の後ろが寒くなった。
それでも条件反射で、こく、と小さく喉を嚥下する。
口内を、喉奥を、気管を、身体をじんわりと伝う淡い感覚。
そこに浸る暇もなく、静かに唇は離れた。
息が触れ合えるだけの距離だ。
表情までは見渡せない。
「──」
髪と肌に触れる指先の体温と。
口内に広がる血の味と。
唇に触れる息遣いと。
全身で感じ取れるだけの杏寿郎の鼓動を浴びながら、耳にした。
「 」
か細く、消え入りそうな思いの丈を。
「ッ…!」
瞬間。か、と目の奥が熱くなった。
ふるりと頸を振り被る。
間近で見えなかった杏寿郎の顔が、更にぼやける。
それが自身から溢れるものだと気付いた時には、世界が揺れていた。
(だめ)
そう叫びたくても声にならない。
口を開けば嗚咽しか零れなくて。
ぐらぐらと揺れる世界が、黒い波を立てて荒れる。
陽を浴び続けているであろう影鬼の限界だったのか。
指先から冷えていく彼の現実を目の当たりにした自分の限界だったのか。
わからない。
わかろうとする気もなかった。
(なんで。だめ。なんで…ッ)
無い腕を伸ばす。
涙と血の跡を残す杏寿郎の表情が、ぼやけて溶ける。
ただ微かに紡ぎ動く唇だけが鮮明に映った。
更に荒れる影波が視界を遮り、目の前にいる彼さえ飲み込もうとする。
そんな自分の術にさえ憤りを感じた。
邪魔だ。
退いて。
誰も近付かないで。