第34章 無題
未練がない訳がない
悔しい訳がない
寂しい訳がない
それでも蓋をした
残す者達に呪いをかけまいとした
自分の死を乗り越えてもらう為に
前に進んでもらう為に
自分にはできなかったことを託す為に
(俺が。俺自身が、決意したことだ)
だが蛍だけは違う
その身を人間に戻すことも
先の未来を共に見ることも
全ては己が成し遂げるものだと決めたことだ
自分自身で、決意したのだ
初めて蛍の涙を見た日に
初めて蛍越しに見た世界が変わった日に
初めて我が家の庭で深い愛を契り合った日に
初めて朝日の中で蛍と微笑み交わした日に
初めて瞬く星空の下で幾度も絆を結び合えた日に
一度や二度ではない
何度も何度も、言葉を、想いを、意志を、情を、交えた
それだけの想いの積み重ねがある
それだけの重みがあるというのに
簡単に切り捨てられるものなんかじゃない
生前の母の幻を見た時も。
炭治郎に家族への遺言を頼んだ時も。
決して揺らぎはしなかった。
その心が、大きく傾いた気がした。
「杏、じゅ…ッ」
縋る蛍の頬に触れる。
後から後から落ちてくる涙が、皮膚に滲み熱さを持つ。
(熱い)
涙は血の一種だと、蛍から教えてもらった。
体内を巡り生命を生むその熱い涙は、生きていることを実感させるようだった。
──生きている。
自分は、生きているのだ。
まだ繋ぎ止めていられている。
この命を。
この灯火を。
「…ッ」
消したくない。