第34章 無題
「言ってくれただろう? あの藤の檻の中で。悠久を生きる身体を持ちながら、どの鬼も目を逸らしているものを君だけが欲していた」
忘れはしない。
夜よりも更に深い闇。
人工的な灯りがないと光も届かない地下の牢獄の中で、杏寿郎の目を釘付けにしたのは何者でもない一人の女性だった。
鬼殺隊のような剣士でもなく。
悪鬼のような成熟した鬼でもなく。
ただ力のない女性と変わらない。
それでも蛍はあの檻の中で、柱達を前にして言ったのだ。
『ただ…死ぬなら…人として、死にたい…っ』
鬼殺隊のような覚悟も、鬼のような精神も持ち合わせていない。
弱々しいただの女性が、声を振り絞って告げたのだ。
身近に感じるはずのなかったものを、あの場の誰よりも目を逸らさずに見ていた。
鬼のような緋の瞳は、どの鬼も見せなかった色を宿していた。
「生きとし生けるもの全てに平等にあるのが、死だ。この世の摂理にある者だけが持てるその死を、その尊さを、あの時の君は知っていた」
本来ならば決して交じり合うことはない。
人と鬼の心と体。
それでもちぐはぐで継ぎ接ぎだらけの心身で告げる蛍は、誰よりも在るべき姿に見えたのだ。
「その摂理には交わらないはずの君が、だ。その君が、誰よりも人として死にたいと告げた」
杏寿郎にとって、正に十数年生きてきた中で初めての体験だった。
「俺は君だけが持つ、その在るべき姿に惹かれたんだ」
俯いてばかりいた頭は、いつの間にか耐えるのを止めていた。
柔く、感情を含む杏寿郎の声に誘われるように、強く噛み締めていたはずの口元が上を向く。
影を落としていた顔に、太陽もない世界の中で光が差すように。
鮮やかな緋色を映し魅せて、杏寿郎は目を細めた。
「それを忘れないでいて欲しい」
嗚呼。
ようやく、こちらを見てくれた。