第34章 無題
「…生きとし生けるもの全てが、この世の摂理の中で生きている。与えられた命を芽吹かせ、限りある"その時"まで懸命に生きようとする。日々時を刻むその体に同じものなどない。だからこそ瞬くような一瞬が酷く愛おしく、尊いものとなるんだろう」
老いるからこそ。
死ぬからこそ。
儚い命を持つ人間は、等しく儚く美しい。
歯の浮くような言葉も、杏寿郎が口にするからこそ重みを持つ。
いつ命を落としても不思議ではない戦場を進んできた杏寿郎だからこそ、その言葉に意味が生まれる。
「その摂理から外れたものがこの世には一つだけある」
杏寿郎のその志も、思いも、知っていた。
誰よりも傍で、ずっとよく知っていたはずだ。
「それが鬼だ」
それでも曇りのない声で真っ直ぐに告げられた言葉は、強い重みと意味を持って蛍の胸の奥を突いた。
「…っ」
大きな鉛を無防備な体の内側に放られたかのようだ。
心の、胸の、腹の柔らかいところに容赦なく喰い込み押し潰そうとする。
そんなこと誰よりも知っている。
そう告げることすら今の蛍にはできなかった。
唇を噛み締めたままの牙が尚も皮膚に喰い込む。
ここで口を開いてしまえば、止まらなくなってしまう気がした。
「童磨のような許し難い悪鬼も、テンジのようなそう成らざる終えなかった小鬼達も、等しくこの世界では異質なものだ。自然の摂理とは交わらない異端だ」
俯く蛍の頭部しか目に入らない。
それでも向ける杏寿郎の双眸は、愛おしいものを見るように柔く細められた。
「それでも君だけは、異質な中でただ一人違うものを見ていた」
異質と言えば炭治郎の妹である禰豆子もそうだ。
しかしかの少女は、常に微睡みの中にいるようなはっきりとはしない瞳で世界を見ている。
恐らくそうすることで悪鬼への道を阻んでいるのだろう。
幼い禰豆子なりの人間であろうとする姿だ。
だからこそ鮮やかに、懸命に、映ったのだ。
その瞳を鈍らせることなく、一心に世界を見ている蛍の姿は。