第34章 無題
「この世界の中でさえ、そこまで己を差し出さないと得られない対価だ。外の世界ではどうなる」
「……」
「俺は人間だ。陽光の下で生きる生き物だ。その中で失った体を血鬼術により維持し続けるには、今だけの対価では到底足りないだろう」
例え鬼がすぐに再生する体を持っていたとしても。
失ったものを生み出す力は、それが追い付けない程の速度で蛍の体を蝕んでいくだろう。
自身の体だけでは足りない。
今し方猗窩座の血肉を喰らったように、蛍は一生誰かの血肉を喰らい続けなければいけないかもしれない。
それは最早、悪鬼と何が違うというのか。
それでも蛍は人間の心を持っている。
喰らうことを拒絶し、自分の体だけを対価とするかもしれない。
(そんなことになったら──)
数年前、神崎アオイを助ける為に身を挺して長時間、火事の炎を受けた蛍。
その深い火傷跡は、何日も蛍の体に残り続け治らなかった。
それは蛍が血も肉も何をも口にせず、人間であることを捨てようとしなかったからだ。
人間であれば絶命しても可笑しくない程の重度の熱傷。
そんな傷を負いながらも、かろうじて命だけを細々と繋げていたのは、対価に自身を差し出していたからだ。
内部から、じわじわと毒のように汚染していく。
その対価は義勇が血を差し出すまで、永遠に蛍の体を蝕み続けただろう。
『彩千代さんは今回の火事で死にかけました。冨岡さんの言う通り、吸血によって完治に至ったのは事実です』
後日行われた産屋敷耀哉と柱達との会議の中で、しのぶが告げていた言葉を思い出す。
人体にも鬼体にも、何より詳しい蟲柱が告げていたのだ。
日輪刀で頸を斬ることも、陽光の下に体を晒すこともない。
それでも鬼に訪れる"死"はあるのだと、あの時悟った。
「俺は俺の命を永らえさせる為に、蛍の命を削り、尚且つ悪鬼のような生き方に貶めるつもりはない」
蛍を雁字搦めにしている"鬼"という枷から解き放つことを生涯の目的としたのだから。
それを阻むものが、例え己自身であったとしても。