第34章 無題
驚異的な再生能力。
猗窩座に及ばずとも引けを取らない速さで回復していく蛍に、思い付く理由は二つ。
蛍の精神により飛躍的に能力を上げることがある。
しかし今当て嵌まるのは、もう一つ。鬼ならば誰しもが得ている能力だ。
文字通り他人の血肉を喰らい、己の身体を向上している。
そしてその餌は、猗窩座が置いていった片腕だ。
「やめろ蛍ッそんなもの喰らわなくていい…!」
必要最低限口にはしているが、それでも人間の肉は姉以外絶対に喰らわなかった蛍だ。
その蛍が、同胞である鬼の肉を躊躇することなく喰らっている。
咄嗟に杏寿郎が静止の声を上げるが、既に腹部の違和感は消えていた。
それでも血がごっそりと抜けていく感覚はない。
体を、特に腹部を厚く覆いうごめいている影鬼が影響しているのか。
「大丈夫。平気」
傷も火傷も、シミさえもない。
綺麗な肌を乗せた顔を無表情のままに、蛍が淡々と告げる。
「上弦の鬼の肉なら、それなりに力になる。杏寿郎は動かないで」
関節が綺麗に戻った片腕を前に出し、杏寿郎の腹部に掌を翳す。
更にぼこぼこと大きくうねる影鬼は、やがて細い糸のような網目状に波の形を変えていった。
まるで糸を編むように。
左右前後に張り巡らせる影の糸が、杏寿郎の皮膚へと縫い付いていく。
痛みはない。
この影沼に落ちてから、ずっとそうだ。
どこかほんのりと温かい静かな海底に沈んでいるような、そんな感覚だけが体を覆っている。
(──想像だ。…想像しろ)
何をも映さない蛍の血のように赤く濡れた瞳は、杏寿郎の致命傷となる怪我にのみ向いていた。
服。羽織。更には影鬼。
それらで見えない痛々しい空洞を、己の術で感じ取る。
組織が破壊され、血管は千切れ、骨も砕けている。
それらが外気に触れないように、編み込んだ影糸で覆っていく。