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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第34章 無題



 震える唇を噛む。
 表情筋が強張り、眉間が痛む。

 体の痛みは不思議と消えていた。
 出せなかった声も張ることができた。
 しかしそれはひとえに、蛍の影の中にいるからだ。

 非現実的な空間。
 テンジの反転世界と、違うようで似ている。
 この世界の主である蛍が望むことで、瀕死の体に生気が宿っているのか。


(わからない)


 理屈も結果も未知のまま。
 それでも一つだけ確かなことは、現実ではそれは通用しないということだ。

 猗窩座の牙は確かにこの体を裂いた。
 蛍の言う通りあばらを折り、片目を潰し、腹に穴を空けた。

 その現実は無くならない。

 今まで数多の鬼を見てきたが、治癒能力を持つ鬼はいなかった。
 それもそのはず。鬼自身が、何をしなくとも再生を有する体を持っているからだ。
 治癒能力など、元から必要ない。


「…っ」


 隻眼が揺れる。
 何もない空間でも、ふらついた体は後退りするように一歩下がってしまった。


「…きょ…」


 その気配に気付いた蛍が、視線を止める。
 涙で溢れた瞳は、目の前に立つ杏寿郎の顔を見て震えを止めた。


「じゅ、ろう…?」


 唇を噛み、隻眼を揺らがせ、頬を強張らせている。
 歪んだ杏寿郎の表情(かお)は、今まで見てきた数多のどの表情とも重ならなかった。

 冷や汗が皮膚に滲む。
 何も感じないはずの体の奥底が煮え滾るように熱い。
 なのに急速に指先から冷えていくようにも感じた。

 ひたり、ひたりと背後から忍び寄る。
 確かな〝死〟そのものを感じて。


「…杏寿郎」


 千寿郎や、炭治郎達も知らない杏寿郎の顔を知っている。
 それでも初めて見た顔だった。

 大きく歪み、脅威を目にしたような表情(かお)は、なんだか今にも泣き出しそうにも見えて。
 見開く蛍の緋色の瞳が──びしりと。


「駄目」


 深く縦に割れた。

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