第34章 無題
拙い声が呼ぶ。
そこに応えることなく、杏寿郎は羽織越しの温もりを見つめ続けた。
ゆっくり、ゆっくりと息を吐く。
猗窩座戦の時のように、無理矢理に叩き起こしはしない。
それでも限界を過ぎたこの体には酷だった。
「──…」
息の道が細く長く、途切れる寸前まで。
神経を研ぎ澄ませるように呼吸を繋げれば、みしりと皮膚に血管が浮く。
「ぐ…ッ」
「き、きょうじゅろ…!?」
体は動いた。
呼吸により沸騰させた血管はエンジンのように、錆びた体に躍動を与えた。
しかし耐えきれる程の構造を、既に錆びた体はしていなかった。
片膝をついただけで、ごふりと新たな血を吐く。
真っ青になった炭治郎が手を伸ばすより早く、腕の中の温もりが動いた。
「っ出るな。体を焼くぞ」
「きょうじゅろうこそなにしてるの…! あんせいにしてっていった!」
「俺は、いい。それより蛍こそ、早く日陰になる所へ」
「おれはいいってなにッ!」
身動ぎが大きさを増す。
ぐいぐいと腕の中から抜け出そうとする力は到底幼女のものではなく、錆びた体では押さえ付けることができなかった。
「っやめろ蛍出るな…ッ」
「それならわたしもさっきからいってる!」
蛍の体が、声が、激しさを増すにつれて杏寿郎を覆っていた影がぼこりとうねる。
皮膚を覆うだけだった影が躍動を増し、羽織を蹴り、荒い立つ。
──シュゥッ
たったそれだけだ。
それだけのことなのに、朝日に少しでも触れた影から白い湯気が立つ。
まるで強力な酸を浴びたかのように。
蛍にとっては猛毒なのだ。
人間に温かみと微睡みと安心を与えるこの陽光は、鬼にとっては害でしかない。
「やめてっていってるのに…っしけつしてって。じぶんのからだをゆうせんしてっていってるのに…!」
「蛍…ッ」
小さな紅葉のような手が、その体には見合わない強さで杏寿郎の肩を掴む。
爪は鋭く、指は長く、掌は大きく。
強さを増すと同時にその手は、大人のそれへと変化した。
「俺はいいなんて言わないでッ!!」