第34章 無題
瀕死の危機的状況だというのに、不思議と腕の中の温もりを愛おしいと思う感情に包まれる。
奇跡を現実に変えた、ただ一人の鬼を想うだけで。自分が歩んだこの道は、間違えではなかったと背を優しく押して貰えたような気がした。
「れ…煉獄、さん…」
ぐすりと大きな泣き声を漏らして、辿々しく呼んでくる。
そう言えば目の前に少年もいたのだと、思い出すように視線だけを上げた。
「俺、隠の人達を呼んできます…っ救護班、俺が、呼んできますからっ」
「…少年も負傷している身だろう。じっとしていなさい」
「で、でもっそれじゃ煉獄さんが…ッ蛍だってッ」
溢れる涙を拭いながら、唸るようにして炭治郎が告げる。
その意見は尤もだ。
自分が彼の立場なら、同じことを思っただろう。
それでも自分は柱であり、彼らは未だ未熟さの残る少年達。
目に映る彼らも、目の届かない場所にいる列車の乗客達も。
この場にいる者は、全ては守るべき命である。
(そうだ。俺はもとより、蛍の身の安全を確保しなければ)
そして何より、それだけは優先しなければならない命だ。
今し方の会話からしても、命令するだけでは蛍は動かない。
目の前の炭治郎に頼んだところでも、しがみ付くこの体を引き離すのは難しいだろう。
実力行使をするならば、このまま蛍を抱えて日陰まで自身の足を運ぶことだ。
しかし猗窩座との激しい一戦を終えた体は、糸が切れた人形のように動かなくなった。
どんなに能が体に信号を送ろうとも、片膝をつくことすらできない。
この肌に感じる温もりを、抱くことしか。
(…全集中…もう一度、あれ以上の高みに昇れば…)
あるいは体を動かせるかもしれない。
「…ふー…」
血がこびり付いて乾き始めている唇を薄く開く。
ゆっくり、ゆっくりと呼吸を整えるように窄めていけば、誰より傍にいる彼女が反応を見せた。
「…きょうじゅろ…?」