第34章 無題
「ッく…」
相手は取るに足らない一隊士。
片腕で殺せる存在だ。
だがその隊士が構える刃こそ、今の猗窩座にとっては脅威だった。
鷲掴まれ、筋肉に阻まれ、両腕は振るえない。
守ることも攻撃することもできずに、伊之助の振るう刃を受けるだろう。
柱である杏寿郎の刃でさえ、未だ猗窩座の頸を斬り落とせていない。
その屈強な頸を、伊之助の刃が斬り落とせるとは思えない。
脅威なのは斬首ではない。
それらが時間稼ぎになっていることだ。
今まさに昇らんとしている、朝日の時間稼ぎに。
「ぐッぅうぅうッ!!」
血が滲む程、鋭い牙を噛み締める。
押しても退いてもびくともしない杏寿郎の肉体に、先に限界を迎えたのは猗窩座の肉体だった。
体の仕組みを熟知しているからこそ、関節の外し方も筋肉の動かし方もわかる。
腕が動けないなら肩だ。
自らの肩の角度を変え、足を退き、捻るように身を捩(よじ)る。
目の前の肉体が壊せないなら、残す道は自らの肉体を壊すのみ。
蛍の体の間接を抜いた時とは段違いの荒業だった。
容赦なく捻り上げられた両腕は、ぶちぶちと二の腕の部分から細胞をねじ切ったのだ。
右腕。立て続けに左腕。
──ドンッ!
血飛沫を上げた両腕が、杏寿郎から解放される。
瞬間、渾身の力で地を蹴り上げた猗窩座が跳ぶ。
脚式さえ利用した力は、今まさに刃を突き立てんとしていた伊之助を風圧だけで圧し、後方へと跳んだ。
反動で猗窩座の頸に食い込んでいた赤い日輪刀が、ばきんと折れる。
「…ッ…!」
千切れた両腕。
頸を半分まで斬り込んだ刃。
鬼の力を持ってしても抗えなかった力を持つ杏寿郎。
そのどれをも猗窩座の目は映していなかった。
必死の形相で見ていたのは周りの山頂。
どの山も、頂きで白い線が輪郭を作っている。
まず間違いなく朝日が昇ろうとしている予兆だ。