第34章 無題
「っは…はぁ…!」
止血した脇腹が痛む。
片手で押さえたまま、炭治郎は一人よろよろと暗い地面を歩いていた。
小走りに近いその足取りは、今できる精一杯の疾走だ。
ヒノカミ神楽を使用した反動は未だ体に残っている。
それでも鞭打ち、息を上げ、痛む四肢を必死に動かして走った。
(煉獄さんになんと言われようと、ここでやらなきゃ…斬らなければ!)
目指していたのは、せめぎ合う気迫の二人。杏寿郎と猗窩座ではない。
己の日輪刀だ。
刃から柄まで真っ黒な炭治郎の黒刀は、夜の闇の中では簡単には見つけ出せなかった。
ようやく林の近くに落ちていたのを見つけたのは、朝を迎える空が薄らと白けてきた頃だ。
(鬼の頸を…ッ早く!!)
瀕死の傷を負ってまで杏寿郎が猗窩座を抑えている。
それこそ捨て身の、命懸けの行為。
それを無駄にしてはならないと、震える手で刀を握る。
助太刀するのだ。
杏寿郎に待機命令を喰らったが、そんなこと今は関係ない。
例え後で重い罰を喰らおうとも立ち止まる気はなかった。
追い詰められると思っていなかった猗窩座の頸に、王手がかかっている。
ここでやらずに誰がやる。
(夜が明ける! 此処には陽光が差す…! 逃げなければ…逃げなければッ!!)
炭治郎の行動に気付きもしない猗窩座は、必死に地を蹴り上げようと踏ん張っていた。
それでもびくともしない。
地に深く深く根を張っているような杏寿郎の足は、猗窩座をこの場から離れさせることを断固として拒絶していた。
びきりと、青白い肌の上で血管が膨らむ。
「ッオォオオォオオオオオオ!!!!!」
杏寿郎の咆哮とは段違いの、その場の空気を乱すような唸り。
「っ!?」
離れた場所にいるはずなのに、唸り声が空気に反響してあちらこちらから脳内を突き抜ける。
肌を突き刺す程の殺気を感じて、炭治郎は反射的に耳を塞いだ。
まるで獣の唸り声だ。
その場の生物を全て喰い頃さんとするような、悪鬼に満ちた叫喚地獄。
炭治郎の顔を青褪めさせ、伊之助の肌を凍り付かせ、蛍の息を止める程の。
「──ッ」
ただ一人。
杏寿郎だけを除いて。