第34章 無題
(この男…! まだ刀を振るのか!!)
焦りを覚えたのは猗窩座だ。
本来ならば、頸に刃を触れることすらさせないというのに。
例え刃が当たったとしても、頸の薄皮一枚斬ることすらできないはずだ。
それ程、上弦の鬼の頸は分厚く硬い。
なのに杏寿郎の刃は、深手を負った上で猗窩座の頸に食い込んだのだ。
「くッ!」
初めて焦燥を浮かべた表情で、再生した左拳を振るう。
杏寿郎の顔面を潰さんと打ち込んだ拳は、寸でのところで防がれた。
(ッ止めた…!?)
止めたのは杏寿郎自身の左手だ。
右手で猗窩座の頸に食い込ませた刀を握り締めたまま、左手で猗窩座の左手首を握り掴む。
砲のような拳の一打を、ただの人間が鷲掴み止めたのだ。
(信じられない力だ…! 急所(みぞおち)に俺の右腕貫通しているんだぞ!?)
本来ならあり得ない。
命を落とす程の深手負いながら、右手で上弦を追い詰める程の一撃を放ち、尚且つ反撃をも防ぐ。
引き千切れん程の力で掴まれた猗窩座の左手が、びきびきと悲鳴を上げた。
あり得ない力だ。
一体どこからそんな力が湧いて出ているのか。
「──ッ!」
不意に、はっと猗窩座の顔が上がる。
目の前の男の怒涛の気迫に、気付くのが遅れた。
振り返ったその目に、薄らと明るくなりつつある夜空が見える。
ぞっと背中に悪寒が走った。
列車が転倒したのは山々に囲まれた線路道。
それでもいずれは山を越え"それ"は姿を見せるだろう。
(しまった! 夜明けが近い!!)
どんなに屈強な鬼でも適うことはできない。
"太陽"という絶対的な存在が。