第34章 無題
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ちりん、と風鈴がひとつ鳴る。
熱い夏の風に吹かれて。
「──杏寿郎」
遠くで蝉の合唱が聞こえる。
じりじりと地を焼く陽光の熱気さえも音に変えるように。
それでも心地良い静寂と取れる部屋の中で、凛とした声が己を呼んだ。
「はい。母上」
一番風通しの良いその部屋は、母がいつも寝ている寝室だった。
父はいつものように任務に出て不在中。
一通り一人で稽古を終えた後に呼ばれて足を向ければ、母との時間を過ごしていたのだろう。幼い千寿郎はかけ布団の上ですうすうと深い寝息を零していた。
「よく考えるのです。母が今から聞くことを」
太陽も高い位置にある夏の昼間。
それでも寝間着姿で布団に入ったままの母は、最近ずっと見かけている姿だ。
振り返れば、外出する姿も、家の中を歩く姿も、見かけることがぐんと減った。
いつも寝室で横になっている。
いつからかそれが当たり前の日常姿となっていた。
煉獄杏寿郎──齢十歳。
母よりも小さな体を持ちながら、竹刀肉刺が至るところにできた両手を膝の上でぴしりと揃える。
畳の上で座し、真っ直ぐに母を見上げる幼い双眸には既に炎が宿っている。
「なぜ自分が人よりも強く生まれたのか、わかりますか」
唐突な問いだった。
聡明な母から教えられることは多々あったが、今までそんな疑問を投げかけられたことはない。
寝たきりであることが多い母との、貴重な時間だ。
精一杯成長した今の自分を見せたくて、名一杯大好きな母に応えたくて、背筋を伸ばして、大きな声で答えようとした。
「…っ…ぅ…ッわかりません!」
しかし懸命に思考を回しても、これだという回答は出てこない。
そもそも自分が人よりも強いという自覚はなかった。
尊敬に値する父は、遥か先の柱という頂きにいる。
まだまだ今の自分では届かない、見上げるような高さの頂きだ。