第34章 無題
声を詰まらせながらも、素直に不明だと告げる。
そんな純粋な少年らしい杏寿郎に、母──瑠火は笑みの一つも浮かべることなく静かに答えた。
「弱き人を助けるためです」
煉獄家に嫁ぎ、炎柱の妻となり。呼吸は使えず、脆弱(ぜいじゃく)な体を持つ自分でも、我が子に残していくことができるもの。
それを瑠火は知っていた。
「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため、人のために使わねばなりません。天から賜(たまわ)りし力で人を傷付けること、私腹を肥やすことは許されません」
何をもって〝正しさ〟と呼ぶのかは千差万別だ。
人一人の中にそれぞれの正義があり、大儀があり、志がある。
まだ憧れだけで父や柱を見上げている杏寿郎の中の、純粋であやふやな意志。
本来ならば少しずつ育てていくその志を、瑠火はようやく二桁の歳を迎えたばかりの我が子に形作らせた。
母としての、人としての。
溢れる程の数多の想いは呑み込んで。
「弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです」
炎柱の家系に生まれた、嫡男である杏寿郎には逃れることなど許されない一本道だ。
だからこそ強い覚悟を持って歩まなければならない。
転ばぬように。
挫かぬように。
必ずこの先で置いていくものを、振り返り追ったりしないように。
「決して忘れることなきように」
「っはい!!」
念を押すように告げれば、杏寿郎は宣言するような強さで高らかに応えた。
炎を宿す双眸は一層赤々と燃え、幼いながらも確かな〝意志〟を得ていた。
たった十歳の子供が持つには、重過ぎる意志を。
「……」
嗚呼と、零れ落ちそうになったのは安堵の溜息か。
哀しみの吐息か。
きゅっと唇を強く真一文字に結ぶと、瑠火は感情の欠片を零すまいと顎を上げた。
伝えるべきものは伝えられた。
我が子の中に灯した炎は、彼の成長を助けてくれるだろう。
既に頭角を現している杏寿郎には、炎の呼吸の継承者としての才は十分にある。
残すはその才を育て上げるだけの精神を持つこと。