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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第34章 無題



 待って
 だめ
 なんで
 杏寿郎

 腕が
 血が

 血が


「…ぁ…ッ」


 声が出ない。
 視界が揺れる。
 体が動かない。

 四肢も、頭も微動だにしないというのに、世界がぐらぐらと揺らぐ。
 はくはくと声にならない声が喉を絞って、息が詰まった。


「死ぬ…! 死んでしまうぞ杏寿郎ッ!!」


 揺らぐ世界に映る鬼が何かを叫んでいる。
 杏寿郎の腹を突き破っている鬼がだ。

 その鬼もまた炎の奥義・煉獄の一撃を喰らったのだろう。左側面の頭部はべろりと大きく切り剥がれ、腐った柘榴のように変わっていた。
 左肩は真上から胸の下まで深く大きく裂け、身に付けていた衣服は完全にただの布切れと貸して落ちる。

 人間であれば絶命していても可笑しくはない姿でありながら、叫んでいるのは自らが深手を負わせた人間だ。
 崩れ落ちそうで崩れることはなく、しかと両足で立ったまま杏寿郎に語りかけている。


「鬼になれッ! 鬼になると言え!!」


 必死に呼びかける猗窩座の頭部が、胸が、肩が、見る間に再生していく。
 血を止め、細胞を繋げ、肉を生んで。
 鬼になることで、こうして命は繋がれるのだと体現するかのように。


「…ッ」


 その声は、致命傷を負った杏寿郎の耳にも届いていた。

 強い耳鳴りがする。
 千切れそうな意識の中で、それでも鬼の声はくぐもり聞こえた。

 口を開けば血が溢れ出る。
 歯を食い縛ったまま、日輪刀を振り上げたまま、動くことができない杏寿郎の鼓膜を震わせたもの。


「お前は選ばれし強き者なのだッ!!!」


 それは遥か昔、いつかに聞いた言葉だ。










 ──ちり ん










 あの、夏の日差しの暑い日に。

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