第34章 無題
「断る」
誘う手を見ることさえしない。
夜の闇にも紛れない、燃えるような双眸は狩り取る為の鬼の頸だけを見ていた。
「鬼が力をつける方法は人を喰らうことだ。お前のその強さは鍛錬を積んだ証ではない。それだけ大勢の人間を喰らったという他ならない証だ」
隙も与えず跳ね返す。杏寿郎のその言葉に、初めて猗窩座は口元の笑みを止めた。
何百年もの間、叩き上げて磨き上げてきた己の強さ。
それは、努力でもなんでもい。人間を喰らっただけのことだと一蹴された。
「…何を言うかと思えば」
人間の戯言など。普段なら軽く流せるものが、耳にこびり付いたように残る。
相手もまた弛まぬ努力で己を磨き上げてきた者だからか。
同じ鍛錬者に真っ向から否定されたからか。
「笑えないことを言う」
ぴきりと猗窩座の額に小さな青筋が浮いた。
己の何を知っているというのだ。
耐え切れない空腹に人間に手を出すことはあったが、それも致し方ない時だけだ。
それ以外の時間は基本的に己の腕を磨くことだけに費やし、また人間でも女には絶対に手を出さなかった。
弱者は嫌いだ。
そんなものを口にしてなんになる、と以前そのことに触れた童磨に告げたが、実際のところは猗窩座にもよくわからない。
ただどうしても女を喰らう気にはなれなかった。
どんなに耐え難い空腹が襲っても、必ず口にしたのは男の肉だけだ。
鬼は睡眠を必要としない。故に莫大な時間を鍛錬に費やすことができる。
無惨の命令で動く時以外は、その道だけを迷わず歩んできたのだ。
「ならばその目に焼き付けろ。本当に俺の力が、ただ人間を喰らっただけでできたものなのか」
何も知らないだろう。
何も知らない癖に。
何百年とこの地獄を生き抜いてきた自分のことなど。
(…地獄?)
冷えた思考が自虐を連想させたのか。頭に浮かんだその言葉に疑問を抱いたが、すぐに掻き消えた。
人間相手に、生きる道を問うたところでなんになる。
鬼と人間とでは生きる時間も速さも大きく違うというのに。