第34章 無題

「ッ」


　息切れもなく、口元の笑みを消すこともなく、数多の杏寿郎の攻撃を受けてきた猗窩座が初めて防御の姿勢を取った。
　咄嗟に両腕をバッテンに交差させて己の頸を守る。
　鋭い刃は分厚い肉の壁に阻まれ、その腕を斬り落とすことはできたが頸にまで斬撃は届かなかった。

　ゴゥ！と炎の輪が暗闇に浮かび、消えた。


「…そこを動くなと言ったはずだ」


　斬り落とされた腕は再び、瞬くような速さで蘇生する。
　次の攻撃がくる前に、猗窩座は初めて素手で杏寿郎の刃を受け止めた。
　攻撃を受けるように晒したのではなく、刃を止めるように己の手で掴み取ったのだ。


「く…！？（刃が…ッ）」


　凄まじい力だった。
　片手でも刀を折れそうな程の圧力で、杏寿郎が刀を振るうのを捻じ伏せる。

　しかしその顔は目の前に立つ杏寿郎を見ていない。
　頸だけ捻り振り返り、射貫くような視線で捉えたのは距離を取った場所でぽつんと一人座り込んでいる蛍だ。


「逃げ出すなとは言ったが、俺の邪魔をしてもいいとは言ってない」


　杏寿郎へ向けていた笑顔とは対照的に、威圧するような目が見開き、青白い肌にびきりと血管が浮く。


「俺は今、杏寿郎と話しているんだ」


　初めて蛍の前に姿を現した時と同じだった。
　言葉数少なくとも、そこから滲める闘気だけで蛍を威圧する。
　息を呑み、押し黙る蛍に反応はない。


「俺は話すことなどない！！」


　上がったのは杏寿郎の咆哮だった。

　ボッと刃から発せられる煮えるような熱。
　その熱だけで鬼の皮膚を焼き、爛れさせる。
　それにより拳の力が僅かに退いた隙を杏寿郎は見逃さなかった。


　〝参ノ型──気炎万象〟


　猗窩座の拳から二の腕までを、刃に纏った大きな炎の塊で焼き切る。
　そうして拳の拘束を抜け出ると、痛む脇腹を無視してひらりと体を反転させた。