第34章 無題
「ならない」
蛍の驚きとは真逆に、杏寿郎は冷静だった。
静かな声で間髪入れずに否定する。
鬼殺隊として、柱として当然の答えだ。
それを男も理解していたのか、面食らう様子もなく目を細める。
「見ればわかる、お前の強さ。柱だな?」
その目は一目で杏寿郎の強さを見抜いていた。
人には見えないものを見るように、【上弦】と刻まれた瞳が映し出していたもの。
それは杏寿郎の体を覆う〝気〟だった。
「その闘気(とうき)、練り上げられている。至高の領域に近い」
男が見る世界では、人々は皆〝気〟を持っている。
人間でも、鬼でも。
その中で一際目を惹くのが闘気だ。
純粋な戦闘力に直結もするからこそ、常に戦闘に身を置く男にとっては何より重視すべき事柄だった。
男は強さに固執する鬼である。
「俺は炎柱。煉獄杏寿郎だ」
真正面から堂々と己を告げる杏寿郎は、普段の性格からして真っ当な姿勢だ。
対する鬼という生き物は姑息な思考を持つ者も多く、力を持たない鬼程名乗り出さないことも多かった。
「俺は猗窩座」
しかし強さに固執する男は、杏寿郎の姿勢に応えるように自身の名を告げた。
鬼は人名とは異なる名を持つ。
猗窩座(あかざ)という名も、一般的に人に使用されているところを見たことがない。
源氏名のようなそれもまた、鬼となって男が付けた名なのだろう。
「杏寿郎。何故お前が至高(しこう)の領域に踏み入れないのか教えてやろう。──人間だからだ。老いるからだ。死ぬからだ」
それがさも愚かなことのように、男──猗窩座は言い放った。
「鬼になろう、杏寿郎。そうすれば百年でも二百年でも鍛錬し続けられる。強くなれる」
鬼になろうと誘う声は、どこか優しい。
突如現れ、炭治郎の命を奪おうとした猗窩座の一打を杏寿郎は防いだ。
その一度きりで腕前を見抜いた猗窩座は、杏寿郎の強さに惹かれたのだ。