第34章 無題
ぐ、と歯を食い縛る。
筋肉に力を入れて、破れた血管を圧迫した。
それでも中々血は止まらない。
ぎり、と炭治郎の強く噛み締めた奥歯が軋む。
「集中」
──トン、と。
歪む炭治郎の眉間の皺に、触れたのは杏寿郎の人差し指。
逆さまに覗き込む杏寿郎の見開くような双眸。
金輪が囲む朱色の瞳は、他に類を見ない。
炎のようなそれは、暗い夜の闇の中で唯一灯火を持つ光のように見えた。
「ッ…」
今一度歯を食い縛る。
ただがむしゃらに力を込めるのではなく、感じ取れた一点の筋肉に集中して。
「っぶは…!」
集中できたのはほんの短い時間だけだった。
それでも一気に圧迫して追い込んだ血管は、ようやく流し続けていた血を止めることができた。
「っはぁ…!っは…」
「うむ。止血できたな」
己の体に集中し、手も足も何も使わず止血をすることなど初めてのことだ。
半ば困惑しながら、吐き出した息を乱し大きく呼吸する。
そんな炭治郎に、杏寿郎は促すように優しく続けた。
「呼吸を極めれば様々なことができるようになる。なんでもできる訳ではないが、昨日の自分より確実に強い自分になれる」
「…はい」
些細ながらも、確実な一歩。
その言葉にようやく実感した炭治郎は、唖然と杏寿郎を見上げた。
鬼殺隊本部でも幾度か顔を合わせたことがあるが、数える程度だった。
更には柱と知りながら、実際にその実力を見たのは今日が初めてだ。
身の振り方もそうだが、その言葉一つ一つも不思議と心に響く。
唖然としつつ、まじまじと。これが煉獄杏寿郎という炎柱なのかと見上げ続ける炭治郎に、にこりと朗らかな笑顔が向く。
「皆、無事だ!」
かと思えば、くわりといつものように闊達な声を杏寿郎は上げた。
「怪我人は大勢だが命に別状はない!」
列車が横転し、伊之助が足を挟めた駅員を助けに向かって数十分とも経っていない。
その短い間に、乗客全員の把握を終えた杏寿郎の迅速さにはただただ驚かされるばかりだ。