第34章 無題
「お前の腹刺した奴だろうが! アイツ足が挟まって動けなくなってるぜ! 足が潰れてもう歩けねェ! 放っとけば死ぬ!」
「だったらもう十分、罰は受けてる…助けてやってくれ」
炭治郎を見つけ出す前に、伊之助の視界は駅員の男を見つけ出していた。
横転した車両に片足を潰され、藻掻き苦しんでいた。
あの状態では足も無事ではないだろう。
いいざまだと思った。
悪鬼の味方などをした天罰が下ったのだと。
「頼む」
それでも炭治郎は、そんな男を助けて欲しいと言う。
力の入らない頭を下げてまで。
「…フン。行ってやるよ。親分だからな」
正直、納得はしなかった。
それでも伊之助が否定の言葉を呑み込んだのは、炭治郎のその姿勢を傍で何度も見てきたからだ。
付け焼き刃の、今生まれた偽善のような思いではない。
この子分は、いつだってそうなのだ。
赤の他人であっても誰よりも真摯に、必死に、手を伸ばし救おうとする。
肉親である妹が鬼にされた。
その絶望を知っているからか。
「子分の頼みだからな!」
駅員の男は気に食わない。
それはどんなに炭治郎に諭されても変わらないだろう。
それでも彼が頭を下げてまで頼むならばと、拳を握り締めて伊之助は声を上げた。
「助けた後アイツの髪の毛全部むしっといてやる!」
「そんなことしなくていいよ…」
そっと再び、静かな動作で炭治郎をその場に寝かせる。
握った拳を突き上げて鼻息荒く去っていく伊之助を、視線で追う気力もなく炭治郎は細々と声でだけで抗った。
満身創痍だった。
特にヒノカミ神楽を模した呼吸技を使えば、体は全く動けなくなってしまう。
ふぅふぅと浅い呼吸を続けながら、炭治郎は頭を動かすこともできずに夜空を見上げた。
でき得るならば、駅員の男の足も完治できるだけの浅い怪我だといいが。
(…夜明けが近付いてる…)
見上げた夜空は、光を吸収するような闇ではなかった。
薄らと群青色だとわかるのは、朝日が近付いている所為か。