第33章 うつつ夢列車
男は今、なんと言ったのか。
餌となる人間に向かって、好きな所へ行けと言い放ったのか。
(人間を…見逃し、た?)
鬼に詳しい杏寿郎も、また鬼本人である童磨も、鬼が好み喰らうのは男より女。そして若い肉体だと言っていた。
そのどれもに該当する若菜を、男はあっさりと突き放したのだ。
「なんだ」
「…いえ…何も」
穴が空きそうな程に見る蛍の視線を、眉を潜めて受ける。
先程の凄まじい殺気は嘘のように消えていたが、友好的でないのは変わらないらしい。
「何をぼさっとしている。俺の気が変わらないうちにさっさと消えろ」
「…で…でも…」
「ぃ、行っていいよ若菜ちゃんっ」
「は?」
「上弦様がそう仰るなら、行って大丈夫」
若菜から離れないつもりでいたが、今は上弦ともあろう鬼と共にいる方が危険だ。
同意で呼びかける蛍の変わり様に若菜は困惑したが、鬼二人から離れられるなら願ったり。一瞬だけ迷う素振りを見せて、じり、と後退る。
敵に背を向けないつもりでいるのだろう。こちらを凝視したままゆっくりと後退る若菜に、男は少しだけ見直すように小さく「ほう」と呟いた。
それも束の間。
若菜への興味は瞬く間のもので、すぐに蛍へと向き直る。
「お前はこっちだ」
「痛ッ」
再び肩を掴んだ手に力を入れれば、目の前の蛍の顔が歪む。
そう言えば怪我をしていたと思い出して、男は仕方なしにと溜息をついた。
「どうせお前の足じゃ俺について来れないだろう」
「ひゃっ…! な、何を」
無事な右半身に寄り、軽々と片腕一本で蛍の体を担ぎ上げる。
うつ伏せの蛍の脇を頸の後ろで受け止め、その全体重を左肩に乗せれば俵担ぎの出来上がりだ。
「ぁ、あの上弦様っ行くって一体何処へ…!」
「命令だ。この先の列車を追う」
「!」
先程まで取り付く暇もなかった男から聞いた事実。
やはり無限列車を追っていたのかと蛍の背中に冷たいものが走った。