第33章 うつつ夢列車
どんな言葉を浴びせても、この鬼は手を放さないだろう。
物理的にも逃げ出せる気はしない。
目の前にいるのは鬼だ。
例え怪我をしていたとしても適う相手ではない。
「あ。でも命を奪おうなんて考えてないからっ」
無言のまま反応を示さない少女に、蛍が慌てて付け足す。
「師範も見た目の主張は強いけど、根本は優しい人だから。人の命は重んじる。心配しないで」
「……」
「それに他人に危害を加えるのは悪いことだけど、何があっても魘夢が諸悪の根源だから。そそのかされていたとは言え、相手が鬼なら否応なしに力関係は成立してしまうし」
「……」
「貴女にも貴女の譲れない理由があったのは事実だろうし。話は聞くから。だから、その…」
饒舌ながらも最後は口籠る。
様子を伺うように見てくる蛍の姿は、おさげ少女にはとても今まで見てきた鬼と同じには見えなかった。
だからなんだというのだ、とは思う。
今までの鬼と違うからなんだ。
自分の目的を邪魔するのであれば、鬼であろうが人であろうが変わらない。
心など開くに値しない、ただの他人だ。
「……」
それでも、初めて触れた気がした。
自分の手首を掴んだまま離そうとしないその手を、じっと見つめる。
太陽を知らないような白い肌をしているが、体温が冷たい訳じゃない。
何をも引き裂くような鋭い爪を持っているが、握る手は皮膚を傷付けるようには触れてこない。
じんわりと手首を伝わり感じるものは、過去に覚えがある。
他人をわかち合うことで、触れ合うことで、生まれていたものだ。
「え、と…あの…お名前は?」
いつまでも反応のないおさげ少女に、不安を覚えた蛍がそっと伺うように尋ねる。
ほんの数分前なら、何を場違いなことをと一蹴しただろう。
「私は、彩千代蛍っていうの」
ほんの一日前なら、鬼の名など興味も示さなかっただろう。