第33章 うつつ夢列車
「私ね…人間になりたかった」
「…ああ」
「杏寿郎と、千くん達と、同じ歩幅で歩きたかった」
「っ…ああ」
「それだけなの」
抱く腕に力がこもる。
人間になりたい。
そのたった一つの願いが、どれだけ遠く霞むものなのか。
たったそれだけの願いを、どうして叶えてやれないのか。
目の前の蛍が蛍ではないと認識していても、奥歯を噛み締めてしまう。
「でも…今、ここで、生きられるなら」
力なく凭れていただけの蛍の体が、指先が、杏寿郎に伸びる。
「この先も、ずっと杏寿郎と一緒にいられるなら」
二本しか残っていない指をそっと杏寿郎の頬に添えて。
「私、鬼のままでもよかったなぁ」
泣きそうな顔で笑う。
蛍のその姿を前に、かっと熱い感情が杏寿郎の中で膨れ上がった。
「そんなことはない!」
「っ?」
「そんな顔で…っそんなことを言わないでくれ。諦めないでくれ。蛍」
「……」
「俺は諦めないぞ。例え君がその望みを放棄しても、俺が必ず方法を見つけ出す。答えをこの手で掴み取るまで、歩むことをやめるつもりはない」
誓ったのだ。あの日に。
煉獄家の庭の隅で、ひとを愛するということがどういうことか心と身体で理解した日。
この手で必ず鬼舞辻無惨を討ち、蛍を人間として取り戻すと。
「だからそんなことは言わないでくれ…」
頬に触れる手を握る。
力を込めてもいないのに、くしゃりと黒い炭のように崩れていく。
掴み取ろうもしても、もう掴めない。
くしゃりと、杏寿郎の顔もまた歪む。
「杏、寿郎」
相反して、目の前で体が崩壊していく様を見ていながらも蛍は緋色の瞳を緩ませた。
「蛍。って呼んでくれたね」
初めて、と付け加えて。
嬉しそうに笑う。
「ありがとう。杏寿郎」
黒く窪んだ顔の破片が、ぼろりと崩れる。
苦く見つめる杏寿郎を見返す眼差しは優しい。
かさつく唇をそうと寄せて、触れるだけの唇の合瀬を一つ。
愛おしげに触れた唇を無い指でなぞるようにして、蛍はそっと身を離した。
「──…愛してる」