第33章 うつつ夢列車
「見てみろ。ほたるの影が今は朔ノ夜と重なっている。…君を連れていくのは必然だったかもしれないな」
朔ノ夜が現れたのもまた、蛍の影の中からだった。
考えれば行き着くのはそこかもしれない。
視線を感じる。
見上げれば、抱かれた蛍がじっと杏寿郎を見つめていた。
言葉はなくとも、その目でわかる。
喜びに満ちた感情だ。
思わずふと口元を緩ませれば、ぼこりと気泡が更に大きな音を立てた。
ゆっくりと巨大な朔ノ夜が浮上する。
旋回するように回る動作は、これから向かう先への狙いを定める為だ。
「俺に掴まっていろ。衝撃がどれ程のものかわからないからな」
「っ…うん」
「痛むか?」
「大丈、夫」
陽に焼け爛れた腕を、強く杏寿郎の体にしがみ付くように回す。
これ程の大火傷、ただの一般女性なら会話することでさえ厳しいかもしれない。
目の前の彼女は鬼故か。
それとも生き物成らざるものだからか。
ふとそんな思いが過る間に、杏寿郎を乗せた朔ノ夜は大きく、ゆっくりと反り上がった頭を振り下げるようにしてぼこぼこと沸き立つ影へと突っ込んでいた。
──ドブンッ
黒い飛沫が舞う。
視界にその様を入れる暇もなく、朔ノ夜の体は影の中へと飛び込んでいた。
「むぅ…っ!」
「っ…!」
影の中は強い荒波だった。
波のように体を押し返し、風のようにおうおうと耳元で呻る。
水中のようで、強風のような。なんとも形容し難い異空間のような場所で杏寿郎は足先に力を込めた。
「ほたる!」
「わ…ッ」
黒い風が舞うような視界に、陽光は見えない。
此処なら陽に焼かれることもないだろうと、片腕で抱いていた蛍を傍に寄せる。
「足場は不安定だろうが、俺に掴まっていれば問題ない!」
「ぅ、うん…!」
蛍の影の中に入ったのは一度きり。テンジという小鬼の集合体と戦った時だ。
風柱である実弥や、千寿郎が影鬼に飲み込まれた時もまた、似たような現象にあっていたと聞いた。
上下左右の立ち位置もわからない所で、人の感情を形にしたような渦に巻き込まれたと。