第33章 うつつ夢列車
「……」
杏寿郎の眉尻が力なく下がる。
痛みを背負い、涙に濡れる蛍の姿だ。
何も感じない訳ではない。
「…すまない」
一呼吸、置いて。
袖を握る赤黒い手に、そっと己の手を重ねた。
「俺が願ったばかりに、こうであったらと思い描いたばかりに、君にこんな痛い仕打ちをさせてしまった」
「そ、な…こと…ない」
ゆっくりと握り込み、袖から離させる。
優しくも受け入れることはないその姿勢に、ふるふると蛍は力無く頸を横に振った。
「鬼だから…すぐに、治るから。大丈夫。体の痛みなんて…心の、痛みに、比べたら」
鋭い爪を持つ指は、決して杏寿郎の手を傷付けることはない。
引き止めるように握りしめて、焼けた顔で尚も微笑んだ。
「杏寿郎が傍にいてくれたら。いくらだって、笑えるよ」
見据えていたはずの双眸が微かに揺らぐ。
己の足場を知って尚、一人で踏ん張り、健気に笑う。
その姿はよく知る蛍そのものだった。
願望であっても、こうも精密に想い人を造り上げるものなのか。
もしや目の前の蛍は、記憶を無くしただけの実物ではないのか。
そう錯覚してしまいそうになる程に。
「蛍なら…そう、言うだろうな」
奥歯を噛み締める。
目の前の存在が蛍そのもののように感じられれば感じられる程、真逆の感情が浮かび上がった。
憤りだ。
(許せない)
蛍を模した目の前の存在に対してではない。
そこまで精密な偽りを作り上げられて、一体何人の鬼殺隊が犠牲になったのか。
皆がこうして夢と現実の境目もわからずに、死に伏せていったのか。
(他者の心の奥底を抉り出し、都合の良い世界を作り上げるなど。当人への冒涜だ)
世界は優しいだけではない。
甘いだけではない。
喜びや幸せに満ちているだけではない。
辛いことも、痛いことも、苦しいことも、死にたくなるようなことも。同じに存在する世界だ。
だからこそ愛おしく感じられるものを、何よりも尊く思い。
命を賭しても守らねばと、強く在れるのだ。