第33章 うつつ夢列車
天を舞うように昇った金魚は、杏寿郎の声に反応し下りてくる。
杏寿郎が伸ばした手に寄り添うように泳ぐは、蛍の金魚、朔ノ夜である。
「朔ノ夜がいれば心強い。此処を脱したい、協力してくれるか」
手短に話せば、全てを理解したように黒い頭が泳ぎに合わせて縦に揺れる。
むくむくと巨大化していく黒い体は、たちまちに荷馬車程の大きさに変わった。
「ま…待って…!」
地面擦れ擦れに身を置く朔ノ夜の、前鰭に片足を乗せる。
そのまま飛んでいきそうな杏寿郎の姿に、はっとした蛍が手を伸ばした。
「ぅあ…ッ」
しかし茂みのような葉の中から身を乗り出せば、じゅうっと肌が焦げ付く。
中にうずくまったまま出てこられない蛍を見て、杏寿郎は鰭に乗せていた足を地面に下ろした。
「少し待っていてくれ。すぐ戻る」
滑らかな鱗にぽむちと掌を軽く当てると、向かった先は蛍の下。
葉の奥底にうずくまる蛍は、知っている蛍ではないことはもうわかっていた。
それでも躊躇なく進んだ足は、蛍に触れられる所まで近付く。
離れた場所に佇む朔ノ夜は、大人しく様子を見守っていた。
「…すまない」
呼びかける声は、酷く穏やかで。
ぴくりと蛍の焦げ付いた肌が反応を見せる。
「君は、俺の愛するひとと同じことを願っていた。人であることを望み、そう在れたことに心から喜んでいた。その姿に感銘を受けたのは本当だ。…例え一時のものでも、いつかくる未来をこの身に実感して、これ以上の幸せはないと思えた」
「……」
「その感情は本物だ。ありがとう」
「……杏…」
「ん?」
「…ぃ…いか、ないで…」
焦げ付いた指先が、震えながらも伸びる。
優しい眼差しと相槌に導かれるように、鋭い爪を持つ鬼の手がきゅっと杏寿郎の袖を握った。
「私を、置いて…いかないで…」
陽に焼けなかった左目が、じんわりと潤み濡れてゆく。