第33章 うつつ夢列車
鮮やかな緋色の瞳。
縦に割れた瞳孔が、僅かに広がりを見せた。
「──…っ」
静かに驚いたまま動けない蛍は、先程のように弁明をしなかった。
できなかったという方が正しい。
目の前の男は、既にこの体を通して向こう側を見ている。
己の中で見つけた答えは、今ここで何を言おうとも覆らないだろう。
無言で向けられる炎を宿した双眸は、何をも通らないことを意味していた。
──ゆらり
その炎の視界の片隅に、空気の揺れを見たのはその時だ。
目の前の蛍にばかり気を向けていて気付けなかった。
辺りを探れば、こんなにも身近に知ったものがいたというのに。
「そこにいるのか」
ゆっくりと目の前の蛍から視線を移した杏寿郎が、蛍の足元を見る。
葉の群で陰になっているが、蛍の足元で──ゆらりと。更に深く黒い影が動いた。
「朔ノ夜」
杏寿郎の声に導かれるように、ぐぐ、と影が山を作る。
いつもなら流れるように現れる朔ノ夜が、何かに抵抗するように影を押し上げ、ぐねぐねとうごめき、空を求めて突き上げた。
「ひ…っ」
黒くうごめく奇妙な影のような物体。
思わず尻餅を着いて微かな悲鳴を上げる蛍を、きょとんと杏寿郎が見る。
途端にぷすりと、思わず噴き出した。
「確かに見栄えはよくないな。蛍自身も、最初は影鬼を気味の悪いものだとばかり言っていた」
「…ぁ…ちが」
「だが一度だって己の影に恐怖したことはないぞ」
静かに窘める杏寿郎の声は、寄せ付けない冷たさがあった。
遮られた言葉を呑み込むことも吐き出すこともできずに、はくりと蛍が声無き声を吐く。
その気配のブレを感じ取るかのように、足元でうごめいていた影の先が小さな亀裂を作った。
一度切れ目を作ると脱出は早かった。
滑らかな鱗で溶けるように亀裂から抜け出た朔ノ夜が、再び金魚の姿を成して空を舞う。
「おおっ、やはり朔ノ夜か!」
陽光に照らされる黒い鱗が、光の角度で鮮やかに様々な色を成す。
きらきらと輝くその様を眩しそうに見上げ、杏寿郎は笑顔を浮かべた。