第33章 うつつ夢列車
『物欲、ない訳じゃないよ。杏寿郎から貰えるものは特に、私には大切なものだから。それが何気ない一輪の花でも、使い古した髪紐でも』
物欲がない蛍に、独りよがりなものをあげてもいいものか。
そう尻込みした時、彼女は言ってくれたのだ。
『そこに優先順位はないの。どれも私には一番だから』
杏寿郎から貰えるものなら、なんだって一番になるのだと。
恥じらい、はにかみながら告げてくれたのだ。
杏寿郎が忘れていたような、潰れた桔梗の花も。
特別に作り上げて贈った、契りの櫛も。
どれも同じに一番なのだと。
その想いに強く胸を打たれたことを思い出す。
「"何より"というのは…俺の言葉だ…」
唖然と呟く。
杏寿郎のその顔に、蛍は力無く頸を傾げただけだった。
それでも今の杏寿郎には十分だった。
いくら契りの櫛を大切にしてくれたとしても、あの玉簪をおざなりにするような女性ではない。
蛍にとっては義勇と天元と実弥の手により形を成したあの簪も、同じに大切なはず。
単に髪飾りを一つ、選んだだけの結果だったかもしれない。
しかし悪鬼の糸口を掴もうと全神経を研ぎ澄ました杏寿郎の前では、僅かな綻びも命取りだった。
「これは俺の願望だ。君が人に戻ることも。父と弟と、家族揃って一つ屋根の下で暮らせることも。悪鬼のいない、平和な日常も。全ては俺の願望だ」
「…な、に…って…」
「俺の願望が君を人にした。まがい物の人間だ。だから陽光に耐えられない。…こんな姿にさせたのは俺だ。すまない…っ」
きつくきつく、眉を潜め顔を歪める。
感情のままに目の前の体を掻き抱く。
それでも焼かれた体をこれ以上痛め付けられないと、細心の注意を払った。
「きょ…じゅ…」
か細い、息も絶え絶えな声が痛々しい。
守らなければ、という使命が湧く。
愛おしさが強くなる。
己の不甲斐なさを叱咤する。
「……蛍」
その中で、ただ一つ。
突破口を見つけ出そうと回り続ける頭だけは、冷静にそこへ導いていた。
「君は…本当に、"今"の君か」