第33章 うつつ夢列車
(それに禰豆子が、他の少女達には向けていた威嚇をしない。それだけで十分だ)
自分以上に本能で生きている禰豆子が、答えを物語っている。
現に今、青年を目にしても禰豆子は何も反応を示さなかった。
「僕は何もしないので…っ」
「うん。大丈夫、私達も何もしません」
「え?」
「貴方が危害を加えない限り」
うんと頷いたのは禰豆子に対して。こくんと少女も頷き返すと、朔ノ夜と車両へ足を進めた。
「その子は鬼ですが、貴方と同じに人には危害を加えない子です。どうか見守っていて下さい」
「ぁ…」
「さっきの少年隊士の妹だから」
炭治郎の夢の中にいた青年だ。
その中で、人間だった頃の禰豆子の姿は見ていた。
鋭い牙も爪もなく、年齢よりも少し大人びた優しい笑顔で笑う少女。
全てを失った炭治郎の傍に、一人だけ残った唯一の家族。
「…わかりました」
炭治郎の心の一部を共有したからこそ。その妹であるという理由だけで信頼に値した。
深く頷く青年に、蛍も笑顔を返す。
「それじゃあ禰豆子。朔。皆をお願いね。私も炭治郎を守ってくるから」
「ム!」
片手を上げる禰豆子と、傍に寄り添う朔ノ夜に背を向けて、車両の外へと向かう。
一瞬、頭を過ったのは最後に見た姉の姿だった。
「──っ」
何故頭を過ったのか。理由は定かではない。
ただ強烈に頭に残った、血肉を剥き出した姉の顔。
血に塗れ、涙を流し、それでも最期には背を押してくれた。
いってらっしゃいと、蛍の進む未来を案じるように。
(…姉さん…)
全て列車に潜む鬼の見せた幻に過ぎないだろう。
それでも蛍が手を伸ばした姉の最期は、あの日、あの時。あばら屋の中で見た姉の最期と同じだった。
鬼であろうとも妹である蛍自身を見てくれた、あの姉のままだった。
「…いってきます」
誰に告げるでもない。
禰豆子の耳にも届かない小さな声で、亡き愛しい人にだけ届くように振り返る。
後ろ髪を引かれたのはその一度だけ。
踵を返し車両の屋根へと跳んだ蛍は、全てを振り切るように駆け出した。