第33章 うつつ夢列車
「何、ヲ…?」
夜と錯覚するような、真っ黒な影。
飲み込まれそうなその影の下で、姉が不安げな声を上げる。
蛍と同じく視線を上げて土佐錦魚を捉えた瞬間、それはどぱりと大量の黒い波を溢れさせた。
「蛍ちゃ…っ」
「大丈夫」
童磨の氷の波から、駒澤村を守った時と同じ現象だった。
巨大な土佐錦魚の体が崩れ去り、そこから溢れる黒い波は留まることを知らずに世界を押し流していく。
赤い血の海を黒い影の海に変えるように。
戸惑う姉の体を優しく抱きしめたまま、蛍は影の波から目を逸らさなかった。
「今から此処を出る。その為の少しの辛抱だから」
「出る…っテ…」
「此処は私の知っている世界じゃない。きっと鬼の作った術の中」
姉の答えを貰えずとも、蛍は既に確信していた。
テンジの世界に飲み込まれたことがあるからこそわかるのだ。
そしてその打開策も。
(童磨との能力値には差があるから、上手くいくかわからないけど…)
テンジの世界を覆う程に広がっていた、童磨の氷。
それは瞬く間に世界の主を見つけ出し、テンジが優位に立てるはずの遊戯で負かしていた。
あの時、テンジの術により蛍は一時的な記憶喪失となっていたが見ていたものは覚えている。
テンジの世界には限りがあった。
となれば、この鬼の作り出した幻にも"限界"はあるはずだ。
「人智を超えた力を持っていても、そこにだって限りはある。この世界の限界まで私の影で埋め尽くして、脱出の為の亀裂を作る」
上弦の鬼とまでいけば、限りという概念もなくなるのかもしれない。
童磨の氷は正にそれだったが、それでも朔ノ夜は抗い駒澤村を守り通した。
その経験があるからこそ。
(不可能な訳じゃない)