第33章 うつつ夢列車
「姉上、兄う…何してるんですか?」
「千くん」
「うむなんでもない!」
じっと身を任せていた杏寿郎の顔が、千寿郎の登場に勢いよく上がる。
実弟の前では愛でられる姿を曝せなかったのか。ほんのりと耳には赤みを残しているが、ぱっと切り替えた表情はよく見る笑顔だ。
相変わらず切り替えの速さに感心していれば、徐に杏寿郎の腕に軽々抱き上げられた。
「わっ」
「兄上、危ないですよっ」
「問題ない! 夕餉が冷める前に蛍に食べてもらいたいからな! さ、食事にしよう!」
安定期に入って膨らんできた腹もなんのその。
杏寿郎の強靭な腕の中では不安もなく、蛍も丸くした目をぱちりと瞬くと、うんと大きく頷いた。
「うん。皆でご飯にしよう」
食事を取る居間には、きっと姉と槇寿郎も待っているはずだ。
「──なんだそれは」
蛍の予想通り、居間に踏み込めば真っ先に出迎えたのが呆れた顔の槇寿郎だった。
我が家の大黒柱は既に定位置に座しており、蛍を抱いた杏寿郎を見た途端に呆れた表情を浮かべる。
「不必要に妊婦を抱きかかえるな。蛍さんが怪我をしたらどうする」
「っごめんなさい。私が甘えて」
「どうせ杏寿郎が自ら進んでやったんだろう」
「流石父上。その通りです!」
「褒めてない。嬉しそうな顔をするなっ」
安定の父と息子のずれた掛け合いも、笑って見られるようになった。
ドが付く程に素直な杏寿郎に対する槇寿郎の小言は、結局のところ真逆に素直ではない父親ならではの照れ隠しであることも多いのだ。
杏寿郎に下ろしてもらいながら笑みを零していた蛍は、ふと予想していたもう一つの顔がないことに気付いた。
「さ、皆席について下さい。夕餉にしますよ」
「千くん。姉さんは?」
「え?」
「姉君なら先に食事を取って、今は湯浴み中だ」
「そうなの?」
「明日が早いそうなので。先に急いで夕餉は済ませられましたよ」
「そうなんだ…」
槇寿郎と煉獄兄弟が共に過ごす空間は、何度感じても自然と頬が緩んで幸せを噛み締めてしまう。
だからこそそこに自分も、あわよくば家族である姉にもいてもらいたかったが仕方ない。