第33章 うつつ夢列車
彼らの夢はそれぞれに異色で、似たものは一つもなかった。
炭治郎の夢は、亡き家族達と再会し再び共に暮らす夢。
善逸の夢は、愛しい禰豆子と不安のない楽しい時間を共有する夢。
伊之助の夢は、子分達を引き連れて主(ぬし)と思わしき敵を退治しに行く夢。
どれもが己の中にある欲を形にして具現化したものだ。
魘夢の術は、対象者の欲望を引き出し夢として見せるもの。
その夢の内容を意図的に操れることはできるにしても、幸せな夢の源は皆、対象者本人が持っている"思い"だ。
ありのままの思いを形にして、望む色に変えて魅せる。
だからこそ誰もが夢に夢中になるのだ。
(ただあの男の夢は、変に現実的で気味が悪かったけど)
一つ、なんとなしに気になったのは柱である杏寿郎の夢だった。
炭治郎達の夢にはどこにも不安要素はない。
皆が笑い、前を向き、幸せに過ごしている。
しかし杏寿郎の夢の中だけは、妙に現実的な人間模様を見せていた。
背を向けて顔を見せようとしない冷たい父。
剣士になれず己の立場に潰されそうになる弟。
通常ならば、そんな家族が笑顔を向け、心を開いてくれる夢を見るものだ。
ただ杏寿郎の夢だけは違っていた。
(柱ともなる人間だ。常人とは異なる感性の持ち主かもしれない)
じっと何もない夜の闇を振り返り見つめたまま、魘夢は一人結論付けた。
これから死にゆく者への探求など不要だと。
「それでも非現実的なところは非現実的。深い眠りに落ちていっている」
愛する者が人間の姿を取り戻せたこと。
鬼である女を心から好いている事実には驚いたが、やはり風変わりな人間なのだと納得もした。
死んだはずの家族と暮らしていることも。
鬼である少女と陽の下で話せることも。
人間と動物が入り混じったような風貌になった子分達を引き連れていることも。
鬼殺隊ともあろう剣士達が、誰一人疑いを持たずに夢中になっている。
「もう目覚めることはできないよ」
それこそが皆が理想郷とする〝夢〟そのものだ。