第33章 うつつ夢列車
「忘れちゃったの?」
そんな杏寿郎の反応に、皆まで聞かずとも訴えることを理解した顔で蛍が苦笑する。
「杏寿郎が鬼の私を大切に思ってくれていたのは、嬉しいけれど」
「姉上、兄上は…」
「うん。きっと、昔のことを思い出しているんだと思う」
「昔? 昔とはなんだ」
「わ、」
その顔を千寿郎にも向けて、一人全てを知った空気で笑う。気付けば蛍のその両肩をぐっと掴んでいた。
「昔は昔だよ。私が鬼として生きていた時の話」
優しくはないその手に、そっと蛍の手が重なる。
「たくさん、苦しい思いをして。たくさん、痛い思いをして。でも、忘れられない大切なものもたくさん見つけられた時の話」
ただ触れているだけなのに、伝わる温もりが目の前の存在を改めて教えてくれる。
目の前に彼女はいるのだ。
陽光に焼かれようとも、焼かれまいとも。
そわりと心が逸る。
何も知らずとも何かを期待するように。
思いを馳せるようにして語る。
その顔を照らす陽の光が、まるで未来の蛍を照らしているかのように見えた。
(まさか、)
ずっとずっと待ち望んでいた。
何に変えても掴み取りたかった。
その未来が、もしや今ここに在るのだろうか。
「よもや、蛍」
見開いた双眸を尚開き、食い入るように蛍へと迫る。
鬼気迫るような緊迫した杏寿郎を前にしながらも、蛍はへにゃりと柔い笑みを浮かべ返した。
「うん。ようやく杏寿郎と同じになれた」
それだけで十分だった。
毎日願っていたことだ。
喉から手が出る程に懇願していたものが形になったのだと悟ると、目の奥がかっと熱くなる。
「そう、か…!」
語尾が震える。
両肩を握る手も震えかけて、ぐっと力を込めた。
手繰り寄せて、強く抱きしめる。
その柔らかさも温かさも、鬼であった時と何も変わらない。
それでも確かに蛍は変わったのだ。
あたたかい陽の下で、こうして抱きしめられる程に。