第33章 うつつ夢列車
ただいまとおかえり。
何気なく交わすその言葉の裏には、大切な想いがある。
だからこそ日常のやり取りの中に幸福を感じられるのだと、杏寿郎は一人目を細めて噛み締めた。
「傘、ありがとう」
「大したことはない」
日中、蛍がよく差していたのは幅の広い番傘だ。
婦人用の小さな日傘では心許ないと、傘の中で縮こまっていた姿を思い出す。
そんな蛍も随分と陽光に慣れたものだと感心すら覚えていた時だった。
ぱちんと、流れるような動作で蛍が傘を閉じたのは。
「ほ──!?」
一瞬にして杏寿郎の周りの空気が凍る。
玄関内ならまだしも、此処はまだ陽の当たる外庭だ。
咄嗟にその名を呼ぶ余裕もなく、杏寿郎は目の前の体を羽交い絞めのように衝動的に抱きしめた。
「んぷっ」
「千寿郎退け!」
「え?」
「早くッ!!」
珍しい兄の強い啖呵に、驚きのまま千寿郎が後退る。
空いた空間に体を捻じ込むようにして、杏寿郎は抱きしめた蛍と共に玄関内へとなだれ込んだ。
「き…杏…っ」
「何をしてる!」
「んむっ」
「陽に当たったかッ? 怪我は!」
玄関の地べたに二人して座り込むようにして尻餅をつく。
主に蛍が杏寿郎に覆い被さられる形で尻をついたが、痛みよりも驚きで身動きができない。
反して杏寿郎はがばりと体を起こすと、目を丸くする蛍の頬を両手で掴み目の前へと引き寄せた。
先程の蛍の千寿郎へ向けていた不安に、更に拍車をかけたかのような焦燥。
切羽詰まり動揺する杏寿郎の姿は、普段とはかけ離れたものだ。
「ら…らいひょうふ。どこもへはして、らいよ」
「本当か」
「ぁ…兄上。そんなに強くすると、姉上が痛がります…」
「…む」
まともに言葉を並べられない程、強く蛍の顔を押さえ過ぎていた。
千寿郎の指摘に我に返ると、杏寿郎はおずおずとその手を離した。
見たところ蛍は本当にどこも陽に焼かれていないようだ。
一先ずとほっと胸を撫で下ろす。