第33章 うつつ夢列車
「すー…すー…」
更に、よっつ。いつつ。
腕組みをしたまま座席に座る姿で眠りに入っている杏寿郎と、その向かいで禰豆子の木箱に凭れる形で眠りに入っている蛍がいる。
鬼の出現など幻だったように。
車掌に切符を切られるまでの姿で、全員が眠りについていた。
「はっ…! ハァ…!」
その場から逃げ出すように車両を走っていたのは、青白い顔をした車掌だった。
男以外は誰一人として起きていない。
皆が寝静まった列車内は、大勢の人がいるというのに不気味なまでに静まり返っている。
「ぃ…っ言われた通り切符を切って眠らせました…っどうか早く私も眠らせて下さいッ」
隣の車両へと駆け込んだ男は、そのまま崩れ落ちるようにその場に座した。
頭を突っ伏して土下座をする形で、誰もいない列車内で涙ながらに懇願する。
「死んだ妻と娘に会わせて下さいッ…お願いします…っお願い、します…っ」
静寂の中に響く、男の悲痛な叫び。
「いいとも」
寝入る乗客以外誰もいないはずの其処に、ねとりとした線の細い声が落ちてきた。
「よくやってくれたね」
ぼとり。
天井から唐突に降ってきたのは、切断された青白い左手だった。
その手には二つの目玉と一つの口が付いており、そこから謎の声が響いてくる。
生き物ではないはずの異様なものであるのに対し、車掌は恐怖するものの驚いた様子は見せない。
涙を両目に溜めた顔を上げると、懇願の眼差しで左手を見つめる。
「"お眠りィ"」
「──っ!」
一瞬だった。
手の甲にある口が大きく歪み嗤うと、何かが体を貫いたかのように車掌の四肢がびくりと硬直する。
かと思えば、そのまま白目を剥いてうつ伏せに倒れ込んだのだ。
「家族に会える良い夢を」
にんまりと口角を歪めて左手が笑う。
その青白い手には目と口の他に【夢】という文字が至るところに刻まれていた。
杏寿郎が斬り落とした二体の鬼とは違う。
小さな人の手の形をした物体であるのに、その鬼達よりも遥かに寒気を覚えるような気配を漂わせていた。