第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「この名を背負うことが浄化に繋がるなら、蛍にこそ煉獄の名を繋いでほしい」
ほんの些細なことでもいい。
それが彼女の足掛かりとなるなら。
一歩、踏み出すきっかけとなるなら。
差し出がましくとも構わない。
自分しか与えられないこの名が、かけがえのない無二のもののように感じられたのだ。
鬼である彼女にこそ、継いでもらいたいものだと。
「…うん」
真剣な杏寿郎の面持ちに、返す蛍の表情は柔く。
嬉しそうにはにかんで、こくんと一つ頷いた。
「なんだか、すごいね」
「ん?」
「私と杏寿郎だけだったものが、気付いたらこんなにも増えてた。名前や、家柄や。そこに暮らす千くんや槇寿郎さん。伊武家の人達や、圷さん達との繋がりもそう」
ただ二人だけだったものが、二人だけではなくなった。
点と点が結び付いては広がっていくように、気付けば幾つもの繋がりが生まれていた。
「それなら俺とてそうだ。柚霧の生きた夜の世界も、声も知らぬ君の姉君も。蛍と等しく、ここまで思い馳せるようになるとは思わなかった」
生まれては、再び結び付き。その繋がり一つ一つが、こんなにも愛おしく感じられるようになった。
「俺と君の父と母が、祖父と祖母が。皆がこうして代々繋いできたのだろうな」
「私は姉さんしかいなかったから、家族の境目がよくわからなかったけど。杏寿郎のおうちで過ごして、千くん達と関わって、段々感じてきたのかも」
「ふむ。千寿郎が聞いたら喜びそうな台詞だ」
「ふふ。そうかな?」
「そうだとも! 無論、俺も嬉しい!」
柔くも闊達な、杏寿郎らしさが見える太陽のような笑み。
明るいものを見るように目を細めて、蛍はふくりと笑った。