第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「君の人生も、君を成す名も、どれも蛍たらしめるものだ。柚霧の名だって愛おしい」
「…彩千代杏寿郎さん?」
「うむ」
綺麗事ではない。
手探りにでも柚霧を見つけ、離すまいとしてくれた花街での一夜はこの身体が憶えている。
柚霧も含めた蛍を愛してくれた、杏寿郎の想いは心身共に染み込んでいる。
問いかけるように呼べば、嬉しそうに杏寿郎の笑みが尚深まった。
姓一つにまで想いを寄せる。
杏寿郎のその姿勢に、自然と蛍の顔を綻んだ。
「素敵な名前、ね。彩千代さん」
「君こそ。良い名を持っているな。煉獄さん」
頸を傾げて戯れるように告げる蛍を、見つめる杏寿郎の視線もより柔くなる。
「ふふ。そうでしょ? 今までそれなりに沢山の人と出会ってきたけど、同じ名前の人に出会ったことはないの」
「ふむ。確かに、俺も他所で聞いたことがないな」
「…杏寿郎なら、知ってるかもしれないけど…」
「む?」
「〝煉獄〟の意味」
煉獄の姓を持つ人間は、杏寿郎が初めてだった。
より深い関係になって共に歩む未来を望むようになってから、尚の事興味を抱いた名だ。
ひっそりと人知れず調べたこともある。
「天国と地獄の間。罪を犯した魂が浄化される為の炎のこと、なんだって。宗教とか特に興味はないんだけど、煉獄の意味には興味を持ったの」
煉獄という響きは、時に禍々しくも感じる。
生前に罪を犯した霊魂はその炎に焼かれ苦しむとも感じられるが、煉獄は地獄の業火とは違う。
その枷とする罪を浄化する為の炎だと言う。
「炎柱を背負う人の為にあるような名前だなぁって。そう思ったの」
その炎を纏いし刃で、人喰いの業(ごう)を背負った悪鬼達を死という形で解放していく。
炎の呼吸の使い手である剣士にこそ、あるべき名だと。