第8章 むすんで ひらいて✔
「この日はいつも帰りが遅いのに、今日は早くに戻られたので。何かあったんですか?」
「いいえ…少し。疲れただけよ」
深呼吸をする。
口角を上げて、眉尻を下げて、姉さんがよく浮かべていた優しい笑顔を思い浮かべて。
今の私なら、それと同じ笑顔を浮かべられているはず。
アオイ辺りなら気付かれなかったかもしれない。
だけど一般家庭とはかけ離れた育ち方をしたカナヲには、その些細な変化を見つけられてしまった。
「師範…大丈夫ですか? あの鬼に、何かされたんですか…?」
カナヲは鬼殺隊が捕えているあの鬼のことを知っている。
お館様に許しを得て、私からアオイとカナヲに事情を説明した。
鬼に近付くということは、それだけ危険性も及ぶ。
万が一私に何かあった時に、この蝶屋敷が混乱しないように。
その為に二人には鬼のことを告げていた。
それが裏目に出てしまったようだ。
「大丈夫よ。何もされていないから」
嘘。
物理的には何もされていないけれど、心の中は引っ掻き回された。
あの鬼には何も意図がなかった。
ただ私と話がしたいだけだったんだろう。
その裏の無さが、また私の心を乱す。
鬼は嘘つきだ。
自分のことしか考えていない。
その為だったら平気で騙し裏切る。
なのにあの鬼には、私の知っている鬼の要素が一つもなかった。
私に向ける血の混じったような深紅の瞳は、怒気より恐怖が勝っていた。
「それなら、いいです。でも気を付けて下さい。師範…しのぶ姉さんまで失ったら、哀しみます。…アオイ達が」
感情の表現がカナヲはまだ所々乏しい。
自分の感情ではなく、アオイ達の感情を借りて伝えてくる。
そこに貴女の気持ちも入っているのだとしたら嬉しいのだけど。
「ええ。心配してくれてありがとう。さあ、もう部屋に戻って休みなさい」
「御意」
大人しく身を退くカナヲを見送って、そっと一人息をつく。