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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは



 真顔で言い切る杏寿郎は本当に気にしていない。
 そのことに胸を撫で下ろすも、蛍は自身に納得はいっていなかった。

 改めて考えれば、好いた相手への触れ合いを拒否されるのはとてつもなく哀しいことではなかろうか。
 自分に立場を置き換えれば結果など考える前に出た。

 哀しいに決まっている。

 杏寿郎にも、もし同じ思いをさせてしまっていたなら。
 それでも健気に三助として労わってくれる杏寿郎の優しさが染みると同時に、居た堪れなくなった。


「杏寿郎が気にしてないなら…その、いいんだけど…でも、ちゃんと言いたくて」


 健全な空気でじゃれ合うように楽しむ触れ合いも好きだ。
 それと同じに、愛を確かめ合うように体を重ねる行為だって好きなのだから。


「私、杏寿郎に触れてもらうの、好きだよ。肌を重ねるのだって…好き、だよ」


 濡れた髪を手持ち無沙汰に書き上げた手が、頸筋に沿えるようにしてぎこちなく止まる。


「今のこの時間もすごく好き。…でも、お風呂の後なら…その……、…から…」


 尻窄みしていく声は、最後にはぽそぽそと蚊の鳴く程の弱さに変わってしまった。
 ぎこちなさも相俟って上手くは聞こえない。

 それでも二人しかいない露天風呂で、向き合う蛍の声を杏寿郎は拾うことができた。

 〝大丈夫だから〟

 じんわりと頬を染め、気恥ずかしそうに視線を逸らしながら告げたその言葉の意味が成すものはなんなのか。
 確認するのも野暮な程、杏寿郎の脳裏に響くように焼き付いた。


「私だって…杏寿郎のこと…欲しいもん…」


 それが決定打だった。


「…杏寿郎?」


 大きく無骨な手が頸を支える手首を掴む。
 こちらへと向く視線が重なり合う前に、杏寿郎は衝動のままに立ち上がった。


「き、杏寿郎?」

「泡を洗い落とす。背を向けてくれ」

「あ、ハイ」


 髪や体に僅かについていた残り泡を、桶に汲んだ湯で綺麗に洗い流す。
 濡れた髪の毛を手櫛で正し、手首を引いたまま再び湯船へと足を向けた。


「杏…」

「このまま出たら湯冷めしてしまう。体を温めることが先決だ」

「あ、ハイ」


 共に並んで浴槽内の段差に腰かける。

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